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熊本県内では地震から一夜明けた29日も各地で懸命の救助活動が行われた。命をおびやかしかねない暑さの中、機能不全に陥る医療機関も。甚大な被害が出た地域では依然断水が続き、厳しい避難生活を強いられる。発災2日目。余震の恐怖とも隣り合わせで被災者は疲労の色を濃くする。
最大震度7を観測した熊本県宇城市。地域医療を支える熊本南病院は断水や建物被害で医療機能が停止した。約120人の入院患者を別の病院に搬送する「病院間搬送」を余儀なくされた。
「玄関前の通路にマットを敷き、起き上がれない患者さんを何十人も寝かせて搬送用の車を待った。まるで野戦病院のようだった」。大庭直樹管理課長によると、地震発生後の28日午後6時ごろに搬送を開始し、完了したのは29日午前8時ごろだった。
院内は天井や壁が崩落し水漏れも。空調もストップし、余震も続いていたため、患者は玄関前や廊下で待機した。人工呼吸器を使用している患者も26人いたが、全員容体は安定しているという。
「10年前の熊本地震の経験や訓練もあり、職員は比較的落ち着いて行動できた」と大庭さん。一方で、受け入れ先の調整を病院が単独で行わないよう県から要請があったといい、「危険な状態で調整を待つような時間の猶予はない。各病院が独自に動けるようにしてほしかった」と課題も口にした。
市内で避難所の一つとして開設された旧豊野小学校の体育館で冷房設備が稼働したのは、地震発生翌日の29日朝になってからだった。
市の担当者によると、災害時は通常、隣接する市豊野防災拠点センターを使うが、屋根が崩れ落ち、代替施設として急遽、20畳程度の広さがある同体育館のミーティングルームを開いた。ただ、ここが使われるのはまれで、冷房設備の存在について、関係者間での共有が徹底されていなかったとみられるという。
自宅が全壊し、避難した親子連れは、娘らが暑さを訴えたため、学校グラウンドに布団を敷いて寝た。40代の女性は「外よりも冷房のない部屋にいる方が暑かった。娘の体力が心配だったが、しばらく野宿するしかないのかと思った」と振り返った。
「避難所はセキュリティーやプライバシーの面で不安があるので、あまり行きたくない」と話すのは同市豊野町の40代の自営業男性。29日は友人宅に身を寄せ、30日以降は車中泊をするつもりという。ただ「ガソリンがもったいないのでエアコンはずっとはつけられない。つけたり消したりになると思う」と語った。
同県八代市でも大きな被害が出た。市中心部にある観行寺では、築約200年の山門が倒壊。太陽が照り付ける中、住職の武藤孝道さん(75)らが重機を使ってがれきを撤去した。駆け付けた近くの電気工事業、宮本雅大さん(40)は令和2年の熊本豪雨をきっかけに被災地でのボランティア活動を続けており、「困ったときはお互いさまです」と話した。