t>

1990年代、長く続いた「銀行不倒神話」が崩壊した最初の事件として、兵庫銀行の経営危機が日本の金融史に大きな衝撃を与えた。なぜ当局は救済に動き、何が危機を深刻化させたのか。その真相に迫る。
当時、兵庫銀行は地元経済の中核として機能していたが、バブル崩壊後の不動産融資の焦げ付きが急速に拡大。特に1995年の真夏、資金繰りは逼迫の一途をたどり、「本当に破綻しかねない」状況にまで追い込まれた。
破綻回避に向けて動いたのは、当時大蔵省銀行局に在籍していた白川課長(後の日本銀行総裁・白川方明氏)である。白川課長は関係省庁や金融機関との調整を主導し、秘密裏に救済スキームを構築した。
資金繰り危機の表面化を防ぐため、白川課長は日本銀行や他の大手銀行との協力を取り付け、緊急融資と不良債権の切り離しを進めた。この過程で、銀行系統合の枠組みも模索された。
結局、兵庫銀行は1995年に破綻し、後の「みどり銀行」への営業譲渡につながる。この事件は日本の金融システム安定化政策の転換点となり、後の金融再生法や整理回収機構設立の布石となった。