
米国とイスラエルがイランへの攻撃を始めて2カ月が過ぎた。中東情勢をめぐる情報があふれる中で、イランで暮らす「普通の人」の姿が見えにくくなっている、という指摘がある。イラン国内の多様な声が十分に伝わらず、ナラティブが二極化している状況が浮かび上がる。
大阪・吹田の国立民族学博物館で4月中旬、現代イランの研究者によるイベントがあった。同博物館と立命館大学中東・イスラーム研究センターが共催し、オンラインも含めて約100人が参加した。発表者のひとり、同博物館の谷憲一特別研究員が問題提起を行った。
谷特別研究員は文化人類学者として、イランの国教であるイスラム教シーア派の宗教儀式を研究してきた。2010年代から首都テヘランを拠点に調査した経験をもとに、「イランをめぐるナラティブ(語り)の二極化が進んでいる」と指摘した。イスラム法学者が統治する政教一致の体制を擁護するか非難するかという二択に、メディアの報道が収斂されつつあるという。
千葉悠志氏は、報道やソーシャルメディアを通じて「市民の声」に触れる際には、それが自分の願望を反映したものになっていないかを疑う必要があると指摘する。この視点は、イランをめぐる議論においてとりわけ重要だ。外部からのまなざしが無意識に二極化を強化している可能性がある。
このように、イランをめぐるナラティブの二極化は、市民の多様な声を隠してしまう危険性がある。メディアや研究者、そして一般の情報受信者も、自らのバイアスを自覚しながら情報と向き合う必要がある。真の理解には、固定された語りから距離を置く視点が不可欠だ。
No Comments