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「公務員が公的価値を生み出す」という本書の主張は、とりわけ日本の読者にとっては目新しいものではないかもしれない。一九八〇年代に「官僚主導」が批判の対象となった際には、政治家を押しのけてでも自ら信じる国策を進めるべきだと主張するキャリア公務員の姿がしばしば強調されたからだ。しかし本書の言う「公的価値の創造」は、そうした官僚主導の復権を意味するものではない。その違いを明らかにすることが、今回の論点である。
本書は一九九五年にアメリカで原書が出版された後、すぐに注目されて引用数が伸びたわけではない。理論的な革新を掲げる著作というより、実務の現場で蓄積された知恵を体系的に整理するための読み物として受け止められていた。筆者自身、尊敬する研究者から「こういうの読むんですね」と意外がられた記憶がある。研究書というより、実務家向けの一冊とみなされていたのである。
ところが本書は、現在では多くの研究論文に引用されるようになり、その引用数は今も増え続けている。原書出版から三十年を経た二〇二四年には邦訳も刊行された。この変化の背景には、行政学におけるパラダイムの交代がある。かつての行政学が制度や手続きの正統性を重視していたのに対し、今は行政が実際にどんな価値を生み出したのかが問われる時代へと移行している。
従来の行政学は、権限の根拠や手続きの適正さに注目し、公務員の役割も規則を正確に執行することにあると捉えてきた。しかし本書は、公務員が単にルールを守るだけでなく、社会に対して具体的な価値を創出する存在であると強調する。手続き的な正統性だけでは市民の信頼を得られないという問題意識が、この本の根底にはある。実際にどのような成果を上げたのか、どんな価値を生み出したのかが、今ほど問われる時代はない。
こうした視点の転換は、日本社会にも当てはまる。長引く財政難や複雑化する社会課題の前で、行政のプロセスがいかに適正であっても、結果として有効な対策が打てなければ意味がない。本書が四半世紀を超えて読み継がれてきたのは、そのような時代の変化を先取りしていたからであり、二〇二四年の邦訳出版は、日本の行政関係者にとっても価値ある出来事となっている。私たちは今、手続きの正しさだけでなく、それが何をもたらしたのかを問い続けなければならない。