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淡路島に生きる「舟だんじり」:海と共にある祭具の原風景

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Aiko Yamamoto
経済 - 17 6月 2026

ゴールデンウィークのさなか、筆者は兵庫県南あわじ市の土生港からフェリーに乗り、沖合に浮かぶ沼島へと向かった。目的は、毎年5月3日と4日に催される「沼島八幡神社の春祭り(例大祭)のだんじり」をこの目で見ることだった。

沼島は『古事記』や『日本書紀』に登場する国生み神話で、最初に生まれたとされる「おのころ島」の伝承地として知られる。現在は漁業が盛んな島だが、かつては紀伊水道の要衝を押さえる沼島水軍の拠点でもあった。

島の沼島八幡神社は永享8年(1436年)に創建されたと伝わる。鎌倉幕府の有力御家人だった梶原景時の子孫が勧請したとされる。集落の山側、海を見渡す高台に社殿が鎮座する。境内へ続く長い階段は、鳥居から神門までの42段を「男坂」、神門から拝殿までの33段を「女坂」と呼び、それぞれ男女の大厄年齢にちなんだ厄除けの階段となっている。

春祭りでは、本殿から島内の厳島神社(弁天さん)まで御神霊を乗せた神輿が渡る「御旅行事」が行われる。男神の八幡様と女神の弁天様が年に一度出会うという意味があるそうだ。神輿に続いて、宮入りを終えただんじり(地車)が進む。

沼島には車輪付きの「曳きだんじり」が3台、人々が担ぐ「かきだんじり」が2台存在する。そのうちの1台は中央が高く、前後に小屋根を持つ「三ツ屋根」という形状だ。

沼島のだんじりの最大の特徴は、勢いよく海に引き込んだ後、海水に濡れながら曳行することにある。かつて海沿いに道がなかったため、大潮の時期を選んで浜に降り、浅瀬を通って御旅行事を行っていた。道路が整備された現在も、あえて海に入る伝統を継承している。

この「海入り」は他に類を見ない珍しい風習だ。しかし今年は潮の引きが大きく、安全面から中止となったらしい。残念ながら筆者はその勇壮な姿を目撃することはできなかった。

例年であれば、水しぶきを上げながら、まるで船のようにだんじりが海面を走る光景が見られるという。その姿は、民俗学者・森田玲氏が提唱する「だんじりは船を模した祭具である」という仮説を彷彿とさせる。

森田氏は、近世大坂で発達しただんじりには「俄」と呼ばれる滑稽寸劇の移動舞台としての機能があり、その原型は淀川筋を行き来した「川御座船」にあると主張する。すなわち屋形船が祭りの道具に転用されたという説だ。

川御座船とは、優美な装飾が施され、複数の屋根を組み合わせた居室を持つ大型の屋形船で、大名が参勤交代や遊覧に用いた。現存例として、姫路藩が使った川御座船の屋形部分が神戸市の相楽園に保存されている。

大阪から摂津・河内・和泉、さらに瀬戸内海沿岸各地の祭りでは、多様な形態のだんじりが使われる。その中には明らかに船の形状をしたものがある。「海御座船」を模した典型例が淡路島の「舟だんじり」だ。現在、淡路島のだんじりの主流は「布団だんじり」だが、舟形のだんじりを伝承する地域も残る。

淡路島の舟だんじりの起源は、元禄6年(1693年)に淡路市郡家の人々が同市の伊弉諾神宮に奉納したものとされる。この時、12人の船乗りを乗せた江戸廻船が志摩半島沖で嵐に遭ったが、無事に故郷へ帰還できた。感謝した村人たちが舟型のだんじりを造ったのだという。その後、洲本市の鳥飼八幡宮などでも、波を描いた水引幕で飾る舟形だんじりが用いられるようになった。

船を原型とするだんじりが大阪から瀬戸内海沿岸に広がり、祭りの具として受け入れられた背景には、海を生業とする人々の生活文化があり、舟運で結ばれた人々の往来と交流があったのだろう。

橋爪紳也(大阪公立大学特任教授、大阪アーバンデザイン&マネジメントセンター所長。65歳。大阪・関西万博の誘致に関与。)

編集部注:この記事はAIを使用して作成されており、産経新聞の記事を元に、内容を変更せずにリライトしたものです。
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