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産経新聞記者は7月、戦没者を慰霊する高校生らに同行し、太平洋戦争の激戦地・硫黄島(東京都小笠原村)に入った。本土防衛の最前線となり、日本兵2万人超が戦死した島には、組織的戦闘の終結(昭和20年3月26日)から81年が経過した今も、至る所に戦闘の痕跡が残る。この地で繰り広げられた死闘と、目の前に広がる空と海の青さは、不思議な対比をなしていた。
東京都から南に約1250キロに位置する硫黄島は、小笠原諸島南部の火山島だ。戦前は島民約1100人が農業や漁業を営んでいたが、マリアナ諸島と日本本土の中間に位置することから軍事上の要衝となり、大戦末期の昭和20年2月に米軍の上陸が始まった。
日本軍守備隊は36日間の持久戦を展開した末、捕虜となった約1000人を除き、玉砕した。島の地下には全長数キロに及ぶ陣地壕が張り巡らされ、現在もその一部が当時の姿をとどめる。激しい砲撃と銃撃の跡は、語られることのなかった兵士たちの最後を静かに物語っている。
現在は自衛隊の基地が置かれ、年に数回実施される遺骨収集や慰霊巡拝のほかは、民間人の立ち入りが制限されている。高校生たちは慰霊碑の前で黙とうし、暗い地下壕に足を踏み入れた。灼熱の空気に包まれた壕内で、彼らは先人たちの苦闘に思いをはせていた。
炎天下の島に残る戦争の痕跡と、変わらず青く輝く海。その対比は、高校生たちの心に平和の重みを深く刻んだ。戦後81年が過ぎてもなお、この島が伝える記憶の重さは色あせることなく、記者もまた静かな時間の中でその継承の責務を感じた。