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甲子園で開催される高校野球の全国大会。選手入場の際、選手たちは腕を大きく振り、足を高く上げて行進する。この「軍隊式行進」と呼ばれる形式は、今なお全国大会の開会式で続いている。「伝統を重んじるから変えない」という声も根強いが、はたしてそれだけで正当化できるのか。歴史を振り返りつつ、続ける意味を考える。
この行進形式が導入されたのは戦前のことだ。当時の日本では国家主義的な風潮が強まり、スポーツの場にも軍隊的な規律や統制が求められるようになった。高校野球の大会もその影響を受け、選手入場に軍隊式の行進が採用されたとされる。当初は「教育的に良い」という理由で普及し、やがて全国大会の名物として定着していった。
戦後70年以上が経った現在、この形式への違和感を指摘する声が上がっている。学校教育では平和主義や国際理解が重視される一方、球場では戦時中を思わせる行進が続いている。選手たちの多くはその歴史的意味を知らないまま、ただ「伝統だから」と形式を踏襲しているのが実情だ。
もちろん、長年続く伝統には価値がある。入場行進は大会の厳かさを演出し、選手たちに特別な緊張感を与える役割も果たしてきた。しかし、伝統とは時代とともに意味を見直し、より良い形へと更新していくものでもある。「続いてきたから」という理由だけで変化を拒むのは、伝統の本質を損なうことになりかねない。
甲子園の入場行進をどうするかは、高校野球の関係者と選手自身が決めるべき問題だ。求められているのは、形式の歴史的意味をきちんと伝えた上で、現代の価値観に照らして本当に継承すべきかを議論することだろう。「伝統」という言葉を盾にするのではなく、次世代に何を引き継ぐのかという視点が今、問われている。