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1962年のキューバ危機で、米軍統治下の沖縄に配備されていた核ミサイル部隊に核攻撃命令が下された。現場指揮官の判断で発射は回避され、後に命令が誤りだったことが判明した。冷戦期の核開発競争の緊迫を今に伝える遺構が、沖縄県恩納村の青い海を見渡す高台に残されている。核巡航ミサイル「メースB」の発射基地跡だ。
米ソ両国の核開発が加速する中、沖縄では恩納、読谷、金武、勝連の4カ所に計32基のメースBが配備された。だが、現存するのは恩納村の創価学会沖縄研修道場内にある発射基地跡だけだ。ほかの基地跡はすべて取り壊され、当時の姿をとどめるのはここだけとされる。
創価学会沖縄事務局長の桑江功さん(62)は「恩納の発射基地跡も地元の人は取り壊そうとしていたと聞いている」と振り返り、「(先の大戦末期に始まった)沖縄戦で悲惨な体験をされたから、戦争の遺構を見たくなかったのではないか」と推察する。
沖縄戦の記憶が色濃く残る地域だからこそ、戦争遺構の扱いをめぐっては複雑な思いがあったとみられる。冷戦期に日本と沖縄が直面した核危機の実像を伝えるため、この発射基地跡は貴重な証人として今も高台に残り続けている。
米軍統治下の沖縄に核ミサイルが配備され、実際に発射命令まで出されていた事実は、冷戦の歴史を振り返る上で欠かせない。悲惨な沖縄戦の記憶と、核戦争の瀬戸際だった冷戦の痕跡が交錯するこの場所は、私たちに平和の尊さと歴史の教訓を問いかけている。