「黄金の右腕」死去 1173回の献血で240万人救ったハリソンさん

1 minutes reading View : 6
Avatar photo
Mika Nakamura
スポーツ - 03 May 2026

「黄金の腕を持つ男」と称された男性が2月17日、88歳で息を引き取った。豪速球を投げる野球の投手ではなく、鮮やかなパスで敵陣を切り裂くフットボールのクォーターバックでもない。ジェームズ・ハリソンさんは母国オーストラリアで半世紀以上に渡り、2週間ごとに計1173回の献血を続けた。ハリソンさんの血液内にある希少な抗体が同国内の240万人の赤ん坊を救うことに繋がった。同国赤十字社は今月1日、ホームページで「あなたの成し遂げた貢献に感謝する」と弔意を表した。

ハリソンさんが献血を始めたきっかけは恩返しだった。病気のため14歳で片方の肺を切除。その際に複数回、計約7リットルの献血を受けた。米公共ラジオ(NPR)の取材に対し、生前ハリソンさんは「私の命を救うためにどれだけの人が必要だったのかを考えた。会ったこともない人のために行動する人がいるんだと知った」と当時を振り返った。

注射針は嫌い。献血に対し経済的報酬もないが、寄付者の年齢下限である18歳となった1954年から年齢上限である81歳になるまで、2週間ごとに1173回の献血を続けた。地元紙シドニー・モーニング・ヘラルドによると、10回を除いて右腕からだった。

ハリソンさんの善意の持つ重みが変わったのは献血開始から約10年たった60年代。Rhマイナスの母親がRhプラスの子供を妊娠するRh不適合妊娠の場合、胎児の血液が母親の血液に入ることで、母体には抗体が作られる。その抗体が起こす免疫反応が胎児や新生児を危険にさらすのを防ぐための治療薬「抗Dヒト免疫グロブリン製剤」の製造が動き始めた。

ハリソンさんの血漿内には抗Dという抗体が高濃度で含まれていた。肺の手術時に受けた輸血が原因とみられるという。「覚悟を決めた」というハリソンさんはオーストラリア初のドナーに。2018年までに提供した血漿から作られた製剤は240万人分に及ぶ。娘のトレーシーさんも投与を受けた1人だ。

1999年に同国の勲章も授与された。「英雄的行為だ」と自身を称賛する人に対しハリソンさんは言ったという。「私は安全な部屋で献血をしているだけ。記録だというのなら誰かがそれを破ってくれるよう願っている」。

抗Dヒト免疫グロブリン製剤は今も人間の血漿から作られている。同国赤十字社によると、オーストラリアの抗Dドナーは約200人で現在も希少。人工的に合成できないか科学者は実験を進めている。ハリソンさんの名から取った名称は、「瓶の中のジェームズ」だという。

編集部注:この記事はAIを使用して作成されており、産経新聞の記事を元に、内容を変更せずにリライトしたものです。
Share Copied