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「しまった、取り返しのつかない過ちをやってしまった」…人は誰でも一度や二度はこのような後悔をした経験があるのではなかろうか。もっともそれが個人レベルの話なら「気を落とさないで。何とかなりますよ」などと慰めることもできようが、国家レベルの話ともなればそんな悠長なことは言っていられない。当座しのぎのつもりの判断の誤りが、ときには一国の将来や民族のアイデンティティーを歪める結果ともなりかねないから、国家の計は慎重のうえにも慎重を重ねて決める必要がある。
私がとりわけ強い関心をもっている国字国語問題を例に引くならば、日本は終戦後、漢字をそっくり失うという国難をすんでのところで免れたのだった。米国の教育使節団からは日本語表記のローマ字化が勧告され、同時に国内においても錚々たる文化人らがローマ字化や仮名文字化を主張するといった時流のなかで、国語表記の根幹をなす「漢字仮名交じり」は何とか死守することができた。
この歴史的教訓は、現在の皇位継承論議に直接的な示唆を与える。軽率な決定が国語のあり方を歪めたかもしれないように、皇位継承の在り方も短期的な都合や時流に流されれば、日本の伝統とアイデンティティーを損なう危険性がある。
女性天皇容認の声が高まるなか、議論は表面的な平等論に終始しがちだが、問題の核心は制度の連続性と国民の結束にある。皇位は単なる地位ではなく、歴史と文化の継承であり、その変革は将来の世代にまで影響を及ぼす。
したがって、皇位継承論議は、現在の世代だけでなく、祖先が築いてきた伝統と子孫が受け継ぐべき遺産に思いを致す必要がある。軽はずみな改革は後悔を残すだけであり、国家の計としての深い洞察が求められる。