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被爆3世の記者である私は、父方の祖父・中井祐三(ゆうそう)の遺影を長く怖いと感じていた。実家の仏間に飾られた遺影の、焦点の合わない右目にえたいの知れなさを抱いていた。祖父は私が生まれる10年前、54歳で胃がんで亡くなっており、遺影でしかその存在を知らなかったことも影響していたように思う。
祖父の右目の不自然さは、過去にガラス片が刺さったことが原因だった。81年前に広島へ投下された原爆の爆風で、吹き飛ばされてきたガラス片が目に刺さったのだ。当時、祖父は広島師範学校予科に通う15歳で、視力は何とか取り留めたという。
私はその事実を長い間知らなかった。祖父は生前、広島市立基町高校の化学教師として勤めていたが、被爆の記憶をほとんど語らず、家族もそのことを尋ねなかった。まだ幼かった父と一緒に風呂に入った際、体の傷について「原爆で受けたけぇ」と話す程度だったそうだ。
被爆の記憶を語らなかった祖父の生涯は54歳で閉じられた。原爆投下から39年後の1984年、祖父は胃がんでこの世を去った。遺影に残された右目の傷跡だけが、15歳で体験した原爆の惨禍を静かに物語っていた。
被爆3世である私は今、祖父が歩んだ戦後をたどりながら、なぜ彼が原爆を語らなかったのかを考えている。祖父の沈黙は、戦争と原爆の記憶を次世代にどう伝えるかという問いを、私自身に突きつけている。