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東北地方を中心に全国600の集落を歩き、「地元学」を提唱した民俗研究家の結城登美雄(ゆうき・とみお)さんが今月20日、80歳で死去した。「誰かが種をまかなければ、誰かが船を出さなければ、食べ物は食卓まで届かない」。日本の農林水産業と食の未来を憂い、都市住民と農業をつなぐ「CSA(地域支援型農業)」を実践した生涯だった。
結城さんは昭和20年9月、旧満州(中国東北部)で引き揚げのさなかに生まれ、母方の実家である山形県大江町で育った。山形大人文学部を卒業後、仙台市で広告デザイン会社を経営した。
平成7年からは、東北を中心に600の集落を訪ね歩き、「ないものねだりより、あるものさがし」を合言葉に、地域に学ぶ「地元学」を提唱した。11年に始まった宮城県宮崎町(現加美町)での「食の文化祭」をはじめ、地域づくりへの功績から16年度の芸術選奨文部科学大臣賞(芸術振興部門)を受賞した。
一方で、農林水産業の持続可能性のため都市と農村を「食」でつなぐ試みを独自に模索した。平成初期には宮城県唐桑町(現気仙沼市)で、地元に水揚げされた新鮮な魚介類を仙台の消費者へ月2回届ける「唐桑おさかなクラブ」を企画した。
この試みは18年、同県鳴子町(現大崎市)で米を再生産可能な価格で都市住民らが予約購入する「鳴子の米プロジェクト」として、中山間地を舞台に再び実践された。結城さんは総合プロデューサーを務め、「CSA」を「地域で支え合う農業」と訳した。講演ではいつも、静かな語り口で「地域って何だろうか」と問いかけた。