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台湾の激動の現代史を生きた許昭栄さん。日本兵、国民党兵、政治受難者として翻弄された彼の人生は、戦争と平和、アイデンティティについて深い問いを投げかけている。「私は日本人として生まれ、日本人として育ち、日本人として戦った」と語る彼のメッセージとは何だったのか。
1920年代、日本統治下の台湾に生まれた許昭栄さんは、日本人として教育を受け、第二次世界大戦中は日本兵として戦地に赴いた。戦争末期、彼はフィリピンなどで激戦を経験し、多くの同胞を失った。この経験が彼のその後の人生に大きな影を落とすことになる。
戦後、台湾は国民党政府の統治下に入る。許昭栄さんは国民党軍に参加するが、その経歴が原因で「白色恐怖」の対象となり、逮捕・投獄された。獄中での過酷な経験は、彼をして後に「政治受難者」としての意識を強く持たせることとなった。
1970年代、彼は台湾を離れ、アメリカなどで長い亡命生活を送る。その間も台湾の民主化と老兵の権利回復を求め続けた。1990年代、戒厳令解除後に台湾へ戻り、元日本兵たちのための記念碑建立や歴史の証言活動を開始する。
許昭栄さんは特に、台湾の元日本兵(台湾老兵)の戦争被害とその後の不遇を訴え、日本の靖国神社や台湾政府に対する謝罪と補償を求めた。2008年、彼は高雄の旧日本兵記念碑の前でガソリンをかけて焼身自殺した。その遺書には「私はこの命をもって、台湾老兵の歴史を後世に伝える」と記されていた。彼の死は、日本と台湾の間の戦後処理の未解決問題を再び浮き彫りにした。