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7月17日、改正皇室典範が参院本会議で可決成立した。これにより、皇統の安定的継承の途が確保された。弁護士の高井康行氏は、国基である皇統の存続に懸念がある状態では日本社会は安定せず、改正成立は大変喜ばしいことだと述べている。
皇統の安定的継承が危ぶまれるようになった大本は、昭和22年10月14日、占領軍の方針によって、それまで皇族であられた北白川宮家、東伏見宮家、閑院宮家、久邇宮家、山階宮家、伏見宮家、竹田宮家、梨本宮家、東久邇宮家、朝香宮家、賀陽宮家の11宮家51方が臣籍降下されたことにあると高井氏は指摘する。
日本大学の百地章名誉教授によれば、「久邇家、賀陽家、東久邇家、竹田家の旧宮家4家の系統には30歳以下の男系男子が少なくとも11名はおられるとのことである」。
したがって、22年10月14日の臣籍降下がなければ、皇室典範の改正や女性天皇・女系天皇の是非を巡る議論など全く必要がなく、起きるはずもなかっただろうと高井氏は論じる。
そもそも、直系の世継ぎが途絶えることがあり得るからこそ、その時に備えて先の11の世襲親王家が存続してきた。その世襲親王家がすべて臣籍降下された状態のままであれば、皇統の継承が不安定化することは目に見えていたことだと高井氏は指摘する。
占領下における臣籍降下は避け得なかったとしても、日本が主権を回復した27年4月28日以降、時の政府が速やかに先の11宮家の皇籍復帰に向けて動いていれば、今のように「戦後80年も皇籍を離れていた方ではないか」などという反対論も起きず、はるかに静謐な環境で11宮家の皇籍復帰がなされていたのではないかと高井氏は述べている。
遅きに失した感はあるが、今般の皇室典範の改正で、その旧宮家から15歳以上で独身の男系男子を現宮家の養子に迎えることが可能となった。