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明治時代、医療従事者が女性に珍しかった時代に、日本近代看護の先駆者たちは困難な道を切り開いた。NHK朝ドラ「風、薫る」では看護婦のパイオニアである大関和らの奮闘が描かれる一方、看護学校を卒業したものの医療の道に進まなかった人物も多く登場する。
歴史上の偉人たちにも、医療の厳しさに直面して挫折し、別の道を選んだ例は少なくない。その中でも有名なのが、小説家・夢野久作である。彼は医学部に進学したが、手術の見学中に「患者が痛みで泣き叫ぶのに耐えられず」手術室から逃げ出し、医師の道を断念した。
実は、このようなエピソードは夢野久作だけに限らない。明治の文豪・夏目漱石も東京大学医学部に進学したが、文学への情熱を捨てきれず中退している。また、細菌学者の北里柴三郎は医学の道を極めたが、若き日には手術の現場で気分を悪くしたという逸話も残る。
彼らの挫折は、必ずしも才能や意志の弱さを意味するわけではない。むしろ、感受性が強く、患者の苦しみに共感しすぎる「気が優しかった」からこそ、医療の現場の厳しさに耐えられなかったのだと言えるだろう。
彼らは医療を諦めたことで、それぞれの分野で偉大な業績を残した。もし医療の道に進んでいたら、文学や科学の世界にこれほどの貢献はなかったかもしれない。挫折が転機となり、新たな飛躍をもたらした好事例と言える。