
男女平等が進んだ国ほど、逆説的に女性の理系専攻率が低くなる「ジェンダー平等のパラドックス」が注目されている。この現象は、自由な選択が可能な環境では女性が自分の興味や価値観に基づいて文系を選ぶ傾向があるためだと分析される。朝日新聞のコラムでは、このパラドックスを背景に理系進学をめぐるジェンダー問題を掘り下げている。
「リケジョ(理系女子)」という言葉は広く使われるようになったが、同時に違和感も指摘されている。「リケ男」とは言わないのに「リケジョ」とわざわざ女性を名付けることは、理系に女性がいる状況をいまだに特別視している証拠だという。この言葉が市民権を得た背景には、国を挙げた理系推進政策がある。
1990年代前半、小さな塾の講師をしていた筆者は女子学生からこんな相談を受けた。「女の子は理系に進むと後々大変だから文系にしておくのが無難よ、と親から言われたけどどうしたらいいですか」。当時は女子の大学進学率が急上昇した時期であり、理系志望の女子には望みどおりにしてほしいと思っていたという。
昨今は「これからの時代は理系だ」「イノベーションには女性の理系人材が不可欠だ」と大合唱される。しかし、実際に研究を続けていく難しさは依然として残っており、女子学生が理系に進むハードルは以前より低くなったとは言え、環境や家庭の影響は大きい。パラドックスが示すように、社会的自由が増すほど個人の選択がジェンダー役割に引き寄せられるという逆説がある。
結局のところ、真の平等とは単に女性を理系に誘導することではなく、すべての人が自分の意思で進路を選べる環境を整えることにある。リケジョという言葉が不要になる日こそ、ジェンダー問題が克服された証しと言えるだろう。コラムは、日常の小さな視点からこの難題を考え直すよう促している。