
明治の激動を生き抜き、日本初の女子留学生として異国で学び、近代看護と女子教育の礎を築いた大山捨松。その波乱に満ちた人生は、時代や常識をどう切り拓いていったのか。
彼女は幼少期、戊辰戦争の渦中で育ち、砲弾が飛び交う極限の状況を経験した。津軽藩の支援でアメリカに留学し、エリート教育を受け、異文化の中で成長した。
帰国後、明治政府の欧化政策のもとで「鹿鳴館の華」として社交界で活躍。華やかなイメージとは裏腹に、彼女は女性の地位向上と社会貢献に強い使命感を持っていた。
日本赤十字社の創設に関わり、看護婦の育成に尽力。共立女子職業学校(現・共立女子大学)の設立にも参画し、女子教育の普及に貢献した。
大山捨松の生涯は、固定観念に挑戦し、女性の可能性を広げた先駆者の姿を現代に伝えている。朝ドラでの注目を機に、その功績が再評価されている。