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「飛鳥・藤原の宮都(きゅうと)」(奈良県)の世界文化遺産への登録が正式に決まった。エジプト・ピラミッドのような壮大な景観は地下に埋もれた遺跡からは感じられないが、東アジアとの活発な交流を通じ、1300年以上前の国家形成を証明する人類普遍の価値として国際社会に認められた。中国の軍事的脅威に直面しながらも関係を断ち切らず、先進技術や知識を貪欲に導入して国造りに邁進(まいしん)した飛鳥時代の姿は、国益を重視したしたたかな外交の典型であり、現代に通じる歴史的教訓を私たちに突きつけている。
飛鳥の遺跡といえば、高松塚古墳の飛鳥美人壁画や万葉集の舞台となった宮殿など、優雅でみやびなイメージが強い。しかし当時の東アジアは、中国大陸の周辺国である倭国(日本)や朝鮮半島の国々にとって、まさに危急存亡の時代だった。国際情勢は極めて緊張しており、平和な文化活動だけでは国を守れない厳しい現実があった。
618年に建国された唐は、中国全土を統一すると、その勢力を朝鮮半島へと伸ばし始めた。660年には新羅(しらぎ)と同盟を組み、百済(くだら)を滅亡へと追い込んだ。百済と同盟関係にあった倭国は、百済再興のために援軍を派遣したが、663年の白村江(はくそんこう)の戦いで大敗を喫する。さらに5年後には朝鮮半島の高句麗(こうくり)も滅ぼされ、倭国にとって唐の軍事的脅威は一気に現実のものとなった。
飛鳥政権は、大陸との最前線にあたる対馬や九州北部、瀬戸内地域に山城や砦(とりで)を築くなど、国家的な臨戦態勢を迅速にとった。防衛ラインの構築は、当時の指導者たちが国際情勢の深刻さを正確に認識していたことを示している。
特筆すべきは、こうした対応が軍事面だけにとどまらなかったことだ。飛鳥政権は、唐に政治的に決して劣らない国家を目指し、天皇を頂点とする強靱(きょうじん)な中央集権体制を構築。官僚機構や法律を整備し、脅威であるはずの唐などから必要な制度や文化を精力的に学び、現在の日本国家につながる政治システムの基盤を築き上げた。
「隋や唐という大帝国の圧力を受けながらも、政治や文化的交流を続けたことが重要」と指摘するのは木下正史・東京学芸大名誉教授だ。同教授は「大陸の思想や知識を日本流にうまく融合し、独自の政治体制を築いた」と、その歴史的意義を高く評価している。
「飛鳥・藤原の世界遺産登録は、古墳時代と奈良時代の空白を埋める点でも大きな意味がある」と話すのは、明日香村の小池香津江参事。国内の世界遺産としては、奈良時代の「古都奈良の文化財」(1998年登録)、大阪の「百舌鳥(もず)・古市古墳群」(2019年)があり、ここに飛鳥・藤原が加わることで、4世紀から8世紀にわたる長期に及ぶ国造りの変遷を同一の遺跡群でたどることが可能になる。
百舌鳥・古市古墳群の時代は、巨大前方後円墳が両古墳群の間で競い合うように築かれたことから、両地域の勢力を中心とした連合政権だったとされる。決して一枚岩ではなく、強大な大陸国家に対峙(たいじ)するには政治的に不安定だった。そこで飛鳥時代に生まれたのが、権力を一元的に掌握した中央集権国家だったのだ。
小池さんは「飛鳥・藤原の世界遺産はあくまで古代が対象ですが、国難にあたっていかに国を守ろうとしたかという意味では現代に通じるものがあります」と語る。分断が進む現代社会にあって、対話と交流の重要性を改めて世界に示したのが飛鳥・藤原の歴史的遺産といえるだろう。(編集委員 小畑三秋)
観光客との共存に挑む 世界遺産登録を機にオーバーツーリズム対策に乗り出す奈良・明日香村の取り組みも注目される。