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夕刻、最寄り駅の改札前にある韓国料理店から、詰問調の韓国語が聞こえてきた。「たまねぎがないじゃないのよ!」という声に、夫であろう男性が「買ってきたはずだけどな……」としょぼくれた声で返す。長らく繁盛している店には、開店前から夫婦のやりとりが響いている。
駅から拙宅までは約1キロ。韓国料理店を通り過ぎると、インド・ネパール系などのエスニック料理店が並ぶ。その中のインド料理店のタンドリーチキンは絶品で、私が2つ買っている間にも、色鮮やかな民族衣装サリーを着た女性たちが店内に入っていった。
帰り道にはドラッグストアが3軒、コンビニエンスストアも3軒ある。ドラッグストアの従業員はほぼ日本人だが、コンビニの従業員はほぼ外国人だ。最近は名札が一律に「スタッフ」となり国籍を想像しづらくなったが、おそらくベトナム、ミャンマー、中南米の人が多い。高齢者の要望に商品を探し出し、子どもたちには目線を下げて笑顔で対応する姿は、すでに日常の光景になっている。
私自身も、レジに並ぶとミャンマー人女性の店員から「きょうは1本だけですね?」と笑顔で声をかけられる。何気ない一言だが、そこには日々の暮らしで積み重ねられた関係がある。外国人労働者は、単なる「労働力」ではなく、地域に根ざした生活者として、私たちの日常を支えているのだ。
もし彼らが消えたらどうなるだろう。コンビニのレジは回らず、エスニック料理店は閉店し、地域の暮らしに欠かせないサービスの多くが成り立たなくなる。通りに溶け込み、普段の生活に深く組み込まれた外国人労働者。その「見えない支え合い」の上に、私たちの当たり前の毎日は築かれている。