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危険運転致死傷罪に関し、高速運転と飲酒の類型に新たな数値基準を導入する改正自動車運転処罰法が、今月25日の衆院本会議で全会一致により可決・成立した。この改正は主に一般道(制限速度60キロ以下)で最高速度50キロ以上の超過、高速道路など(制限速度60キロ超)では60キロ以上の超過を対象としており、高速運転による事故に対して危険運転致死傷罪が適用されることとなる。
この法改正の契機の一つとなったのが、大分市での死亡事故に関する今年1月22日の福岡高裁判決である。同判決は注目に値するものであった。
判決は、制限速度を134キロ超過する時速194キロで直線道路を走行し、対向から右折してきた車両と衝突した運転者に対し、危険運転致死罪を適用した大分地裁判決を破棄し、通常の自動車運転致死罪を適用した。この判断は本来の司法のあり方を示す立派な判決であると言える。
立法・行政・司法の三権のうち、司法には強い独立性が求められている。その理由は、司法が過去に生じた事実を証拠と適正手続きに基づいて認定し、それに法を適用して民事紛争や刑事紛争を解決する役割を担っているからである。
立法や行政は国民の価値観を適切に反映することを役割とするため、当然ながら価値観の対立や党派性が持ち込まれ、最終的には多数決で決することとなる。
しかし司法はそうではない。たとえ大多数の人が石をダイヤモンドだと言ったとしても、客観的に石であるものがダイヤモンドに変わるわけではないのだ。
司法は、大多数の人が石だと言おうがダイヤモンドだと言おうが、それらの声に左右されることなく、証拠のみに基づいて、石は石、ダイヤモンドはダイヤモンドと認定することをその職責としている。
もし司法が多数の声に従って石かダイヤモンドかを判定するようになれば、少数派の人権は危険にさらされることになる。それを防ぐために、司法には強い独立性が求められているのである。