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沖縄県名護市辺野古沖の転覆事故から3カ月。牧師である金井創氏の存在がなければ、抗議船への乗船プログラムも実現しなかったとされる。牧師を辺野古の海へと導いた背景を検証する。
3月16日、辺野古沖で米軍普天間飛行場の移設に反対する抗議船2隻が転覆し、平和学習中だった同志社国際高校2年の武石知華さん(17)が死亡した。事故後、同校が2日間にわたって実施した保護者説明会では、安全管理のずさんさや抗議船に生徒を乗せたこと自体への疑問が相次いで表明された。
保護者説明会で西田喜久夫校長は、乗船プログラムにイデオロギー性はないと否定。その代わりに、プログラムを立案した「先生」への強い信頼を繰り返し強調した。
抗議船「不屈」の船長でもあった金井創牧師(71)は、日本最大のプロテスタント教派「日本基督教団」に所属。当時は佐敷教会(沖縄県南城市)の牧師を務めていたが、この事故で命を落とした。
金井氏は、同校2年生が毎春参加する沖縄研修旅行の初日に行われる「開会礼拝」を平成30年から担当。令和5年から導入された辺野古沖での乗船プログラムを学校側に提案したのも、この牧師だった。
同校の研修旅行に欠かせない存在となった金井氏だが、もともと沖縄出身ではない。北海道生まれで、かつては銀行員として働いていた。いかなる経緯で「反権力牧師」として活動するに至ったのか、その半生を探る。