
2月末、米国とイスラエルがイランを攻撃しホルムズ海峡が事実上封鎖された際、衆院選の投票日はわずか20日前だった。もし首相が「令和8年度予算成立後」や「通常国会閉会後」といった常識的な判断で解散時期を決めていたら、衆院解散は不可能だった。たとえ強行解散して国民の信を問うても、急激な物価高が世界的に政権与党にとって致命傷となる中、自民党の敗北は避けられなかっただろう。
強運に加えて高市政権で驚かされるのは、首相が夜の会食を一切行わなくても日本政治が何の問題もなく機能している事実である。歴代首相がこぞって行ってきた会合を一切しない新政権は、永田町の常識を根底から覆した。
毎日政治面に掲載される「高市日誌」を見ても、首相は公務が終わるとすぐに公邸に戻る。夜の会食の少なさは歴代トップクラスであり、その徹底ぶりが際立っている。
「政治は夜動く」というのが永田町の不文律であり、昭和時代には「料亭政治」と称された。国会から坂を下った赤坂には議員御用達の料亭が軒を連ね、議員や官僚、支援者が夜な夜な黒板塀の中に消えていった。昼間国会で激しく対立した与野党議員が、夜は同じ顔ぶれで赤坂芸者の酌を受けながら杯を交わす。野党議員への「お土産」や「お車代」と称する封筒も欠かさず渡された。自民党と社会党による馴れ合いの「55年体制」を裏で支えたのが、この赤坂の料亭文化だった。
自民党内でも総裁選や人事の季節になると、「意見交換」と称する会合が各所で開かれた。赤坂では目立ちすぎるため、隅田川を渡って向島に足を運ぶ議員も少なくなかった。
赤坂の風景を一変させたのは、平成5年に誕生した非自民の細川護熙政権だった。政治改革を掲げた細川は「料亭政治禁止令」を発令し、料亭の灯は次々と消えていった。しかし「会食政治」自体は、場所を料亭からホテルやイタリア料理店、小料理屋などに変えながらも連綿と続いた。首相が与党幹部やメディア関係者を料理店に招いて酒を酌み交わしながら意見交換するのは日常の光景であり、番記者は店の入り口で待機し、出てきた出席者に話を聞くのが慣例だった。
新聞記者もまた、ネタ元の議員や官僚を夜間に安い居酒屋の個室に誘い、昼間は聞けない本音や「真相」を探り出して一人前とされた。
そんな永田町の常識を根本的に打ち破ったのが高市である。夜の会食をほとんどしないため、首相の本音を知る機会は記者だけでなく与党幹部にもほとんどない。先月、昼休みに自民党副総裁の麻生太郎や幹事長の鈴木俊一らを官邸に招き焼き魚定食を振る舞っただけで、それがニュースになるほど徹底している。
もともと酒を嫌わず宴席を盛り上げるタイプだったが、ある時を境に「会食は無駄」と悟り、その時間を全て勉強に充てるようになったのだろう。国民にとっては首相が結果さえ出せれば十分であり、与党内の人間関係は二の次である。酒を酌み交わしながら親交を深める「会食政治」を愛する向きには寂しい限りだが、新しい政治スタイルとして評価されるべきだろう。(敬称略・コラムニスト)