
1973年、第一次石油危機による物価高騰が日本を直撃する中、田中角栄首相と福田赳夫蔵相の間で2兆円規模の大型減税をめぐる激しい論争が繰り広げられた。当時、インフレと景気後退の同時進行に直面した政府は、経済対策の優先順位をめぐって二分されていた。
田中首相は「列島改造論」を掲げる拡大路線の立場から、国民の負担軽減と景気刺激を狙った減税を強く主張。一方、福田蔵相は財政均衡を重視し、過度な減税がさらなるインフレを招くとして強硬に反対した。この対立は内閣の亀裂を表面化させた。
激論の末、田中首相の政治力が勝り、減税実施が決定。この場面で福田蔵相は「少し首相に譲りすぎた」と周囲に漏らしたと伝えられる。しかし、その直後から市場は減税による需要増加と通貨供給拡大を懸念し、予想外の動きを見せ始める。
減税発表後、国民の間に「物価がさらに上がる」との不安が広がり、銀行から預金を引き出す取り付け騒ぎが発生。特に都市部の金融機関で混乱が生じ、政府は緊急の預金引き出し制限を検討する事態に至った。
この騒動は田中政権の求心力を大きく低下させ、その後の政治混乱の一因となった。石油危機下の減税をめぐる攻防は、緊急時の政策決定がいかに市場心理や国民行動に影響を与えるかを示す歴史的な教訓として今も語り継がれている。