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日航機墜落現場、血に染まった木をつかんだ手…遺体収容の自衛隊員を支える心理ケア

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Kenji Watanabe
政治 - 05 8月 2026

昭和60年8月12日に起きた日航機墜落事故では、陸上自衛隊などが当初の捜索救助に約1000人を投入したとされる。搭乗者524人のうち生存者はわずか4人だった。壮絶な現場で遺体収容に当たった岡部俊哉元陸将(66)は「思わず息をのむ悲惨な状況だった」と振り返る。自衛隊は現在、災害派遣などに備え、専門人材を置いて隊員の心理ケアに力を入れている。

群馬県上野村の御巣鷹の尾根に部隊が到着したのは事故から一夜明けた13日午前。降り立つと、足の踏み場がないほど散乱した機体の残骸に、ちぎれた手や足がまぎれている。急斜面を登ろうと、目の前にあった木をつかんだ手が、木にかかっていた血で真っ赤に染まった。

内臓のようなものが飛び散る岩、散らばる黒焦げの遺体、五体がそろった遺体は一つもない。子供の大きさの手と、テーマパーク帰りなのか、きれいに残ったぬいぐるみを見て、残酷な現実に胸が引き裂かれそうになった。

当時26歳だった。いつか投入されるかもしれない戦場の様相と重なり、「職業を間違えた」と思った。仲間や部下がボロボロになって死んでいくのを見ても、冷静に指揮をとる自信が持てなかった。

毛布に遺体をくるむ作業には徐々に慣れ、遺体のにおいや焦げ臭さが漂う中で仮眠を取り、約48時間の作業を続けた。

だが、異変に気付いたのは任務を終えて2、3日後。肉を食べようとすると吐き気を催し、暗闇に異様な恐怖を感じるようになった。自宅で電灯を全てつけても眠れず、ウイスキーをあおってまどろんでいると、窓の外に人の列が見えてくるように感じた。それはヘリコプターに載せた百数十人の犠牲者の幻だった。

上空から落下傘で敵地へ乗り込む過酷な空挺(くうてい)作戦を主任務とし、「精鋭無比」の異名を持つ第1空挺団。同様の症状を訴える部下もいたが、「俺は大丈夫だ」と虚勢を張り、我慢し続けた。症状は1カ月ほどで消えた。

「急性ストレス障害」(ASD)の症状と知ったのは随分後だ。岡部元陸将は「1人でもんもんと苦しんでいた。相談するのはプライドが許さなかった」と振り返る。

自衛隊は平成13年ごろから隊員の精神ケア態勢を整備し、司令部ごとに専門隊員を配置。23年の東日本大震災などの災害派遣で捜索部隊は日々の任務終了後、互いにつらさを吐露し、心的負荷を緩和する「解除ミーティング」を開いて対応した。

陸自は「災害派遣の整備は進んだが、戦闘時のストレス緩和など有事対応は未経験のため整備途上にある」としている。(市岡豊大)

編集部注:この記事はAIを使用して作成されており、産経新聞の記事を元に、内容を変更せずにリライトしたものです。
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