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大学生だった能條桃子さんはデンマークに留学し、同年代の若者が積極的に政治参加する姿に刺激を受けた。周囲の友人に投票を促すため、インスタグラムアカウント「NO YOUTH NO JAPAN」を開設したところ、2週間で1.5万人のフォロワーが集まった。初めて投票に行った友人からの反応もあり、手応えを感じたという。
2021年2月、森喜朗元東京五輪組織委員会会長の「女性が入る会議は時間がかかる」という発言に衝撃を受けた能條さんは、友人たちとオンライン署名を立ち上げ、15.7万筆を集めた。これが初めて日本の男女不平等な現状に対し問題提起した活動だったと振り返る。
2022年8月、「ジェンダー平等」を一時的な流行で終わらせないために、地域から実現を目指す「FIFTYS PROJECT」を立ち上げた。翌年の統一地方選挙では29人の立候補を支援し、24人が当選して議員となった。
2023年4月、若者の投票率低下を「若者の問題」と矮小化する状況を変えたいと、被選挙権年齢の18歳への引き下げを目指す「立候補年齢引き下げプロジェクト」を開始した。2024年12月には相次ぐ性暴力被害に関する司法報道を受け「言葉つむぐデモ」を東京駅前で開催し、200人以上が集まった。さらに2025年1月、大阪地検元検事正による部下女性への性犯罪被害を支援する「女性検事を支援する会」を立ち上げ、同年11月には立候補の資金面の壁を解消する「わたしたちのバトン基金」を設立した。
能條さんは「この7年、その時々に見えたことや出会った方々に導かれ、自分にできることを考えて精いっぱいやってきた」と述べる。そして「社会を変えるために歩んだ一歩一歩は、実は私自身を変えるための一歩だったのではないか」と振り返る。かつては「意識高い」と思われるのを恐れて自分の興味を話せなかった自分が変わるための一歩が、今の活動につながっていると語る。