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「是々非々」の消失と陣営化する精神 モンテーニュと考える現代の息苦しさ

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Haruki Sato
経済 - 13 6月 2026

昨今の政治や言論の世界を眺めていると、何とも言えない息苦しさを覚え、ため息が出る。右だ左だ、保守だリベラルだ、改憲だ護憲だ、男系天皇護持だ女系天皇容認だ―こうした対立そのものより、もっと別のところに原因があるような気がしてならない。

もちろん、意見が割れて非難合戦になるのは民主主義がはらむ特質のひとつではある。だが、いま広がっている空気は、意見の対立というより、「陣営」に安易に身を預けた人たちの感情のぶつかり合いに近い。

ある政治家が批判されると、支持する側は内容を吟味する前に「敵陣営による不当な攻撃だ」と過剰反応し、反対側は「政治家の本性があらわになった」と軽薄に勢いづく。事実を丁寧に検証するより、「誰の側につくか」が優先されるのだ。おぞましいのは、その空気が左右を問わず広がっていることだ。保守を自称する者であろうと、リベラルを自任する者であろうと、自陣営にはどこまでも甘く、敵には容赦ない攻撃を浴びせる。そして陣営の空気に違和感を示した者には、「裏切り者」「日和見主義」といったレッテルが貼られる。

「是々非々」という言葉は死語になり博物館に入ってしまったのだろうか。立場や先入観にとらわれず、良いことは良い、悪いことは悪いと公平に判断できる者は、いまや希少な存在となってしまった。

なぜ人はいともたやすく「陣営」に身を預けてしまうのか。多少なりとも理性的に判断できる者であれば、いかなる「陣営」であれ、その主張に100%同調することなどできるはずがないと思うのだが。結局は、自分の頭を絞るより楽だからであり、仲間がたくさんいるように感じられて安心できるからなのだろう。

編集部注:この記事はAIを使用して作成されており、産経新聞の記事を元に、内容を変更せずにリライトしたものです。
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