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織田信長の命で北陸に出陣した羽柴秀吉は、突如として無断撤退を決断し、信長の激しい怒りを買った。歴史の転機とも言えるこの出来事は、秀吉の独断専行と信長の異例の赦免によって、後の天下人の資質を浮き彫りにした。
当時、秀吉は上杉謙信の軍勢と対峙していたが、戦況の悪化や補給路の危険を察知し、信長に事前の報告なく撤退を決意した。軍規違反は厳罰に値する行為であり、信長の耳に入れば切腹も免れない重大な決断だった。
撤退後の秀吉は、すぐに安土城に赴き、信長の前に平伏して謝罪した。信長は激怒したものの、秀吉の説明や状況を聞き、その判断が戦略的に妥当であると認めたという。また、秀吉が撤退中に兵を一つも失わなかった点も評価された。
信長が秀吉の切腹を命じなかった理由は、単なる寛容さだけではない。信長は秀吉の軍事的才能と戦況を見極める眼力を高く評価しており、今回の撤退も結果的に全军を守ったことを理解していた。加えて、秀吉が自ら謝罪に来た誠意も赦免を後押しした。
この一件は、秀吉が信長の絶対的な命令に従うだけの武将ではなく、自らの判断で行動できる人物であることを示した。後に豊臣政権を樹立する秀吉のリーダーシップの原点が、この無断撤退と信長の赦免にあったと言えるだろう。