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山岸美喜さんは、徳川慶喜家の5代目当主である。しかし彼女が背負ったのは、華やかな家柄の栄光ではなく、親族ほぼ全員の反対と向き合う孤独な戦いだった。実の父でさえ反対の立場に回る中、彼女は叔父である4代目の葬儀を執り行った。しかも、喪主の名を名乗ることすら許されないまま、だ。
葬儀後、彼女に託されたのは、都心に300坪もの広さを誇る慶喜家墓地の「墓じまい」だった。この墓地は史跡としても指定されており、一般の墓じまいの数倍もの労力と手続きが必要になる。叔父から「この墓を何とかしてほしい」と遺言された美喜さんは、その重責を黙って引き受けざるを得なかった。
親族の反対は根深かった。「名門の墓をしまうとは何事だ」「慶喜公の名を汚すことになる」――そんな声が次々と上がる。美喜さんは夫の姓を通じて慶喜家に入った女性であり、血縁者ではない。その立場が、さらに孤独感を強めた。それでも彼女は、叔父が生前抱いていた「維持が難しくなった墓地を、次の世代に迷惑をかけずに整理したい」という思いを尊重した。
墓じまいの実際の作業は、関係各所との調整から始まった。史跡指定ゆえに、自治体や文化庁との協議が長引き、石材の処分方法や遺骨の取り扱いにも細かい制約がある。300坪という広大な敷地には多くの墓碑が立ち並び、その一つひとつを丁寧に記録しながら撤去する作業は、精神的にも体力的にも過酷だった。美喜さんは「涙が出ることもあったが、叔父の遺志を果たすまでは止まれない」と振り返る。
こうした苦難を乗り越え、ようやく墓じまいを完遂した美喜さん。彼女の行動は、名門だからこそ課せられる「重責」と、それを一人で背負う「孤独」の象徴として、多くの人に衝撃を与えた。現在は自らの経験を講演などで語り、墓の継承に悩む家々へのメッセージを発信している。「伝統を守ることと、それを手放す勇気は、どちらも同じくらい難しい」――彼女の言葉には、静かな余韻が残る。