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仏壇の欄間を彩る松の枝を彫刻刀で一つ一つ彫る。時に浅く、深く。切り込みに段差が生まれ、松の葉が形作られていく。手掛けるのは、大阪市生野区で光明堂辻田仏壇店を営む仏壇彫刻師の辻田一雄さん(70)。大阪府内に2人だけしかいない、国伝統的工芸品「大阪仏壇」の伝統工芸士だ。すべて手作業のため「一つとして同じ作品はない。それが手作りの温かみ」と語る。後継者不足をはじめ業界を取り巻く環境は厳しいが、今日も彫刻刀を手に作品に魂を吹き込む。
明治から続く仏壇彫刻師の4代目。現在の店舗は、辻田さんの父が昭和52年に本家からのれん分けして開いた。金融機関に勤めていた辻田さんは脱サラし、親子の二人三脚で店を支えてきた。伝統の技を守りながら、時代の変化に対応する日々が続く。
仏壇制作は、本体の土台「木地(きじ)」を作る「木地師」や、光沢を出すため表面などに漆を塗る「塗師(ぬし)」、内装に金箔(きんぱく)を貼る「金箔押師(きんぱくおしし)」などの分業制。彫刻師は、木地師が作った土台に付ける欄間などに、花や動物、人、雲など多種多様な装飾を彫り込むプロセスを担う。それぞれの工程が職人の熟練した技術によって結実する。
仏壇が庶民の家庭に普及したのは江戸時代初期とされる。キリスト教を禁じる幕府の政策に伴って生まれた檀家(だんか)制度により急速に普及した。当時は寺に属することで仏教徒であることを証明する必要があったからだ。信仰の象徴として、仏壇は各家庭に欠かせないものとなった。
需要の急激な伸びにより、必然的に各地で仏壇の産地が生まれた。大阪仏壇、京仏壇、名古屋仏壇、彦根仏壇…。全日本宗教用具協同組合(東京)によると、経済産業省が指定する国の「伝統的工芸品」に登録されている仏壇のブランドは全国に約25種類ある。地域ごとに異なる風土や職人の技が反映された多様な仏壇が存在する。
このうち大阪仏壇は辻田さんが家業を継いで間もない昭和57年に登録された。伝統工芸士の国家資格を取得したのは約30年前。その頃は大阪府内に8人ほどの仏壇彫刻師がいたが、今では辻田さんを含め2人しかいない。海外製の仏壇は機械などを使った大量生産が主流。これに対し、辻田さんは手作業にこだわり、一つひとつに丁寧な技を注ぎ続けている。