「超高度成長的考えを改めよ」と路線転換迫る福田氏、田中首相は日本列島改造論の撤回を明言 石油危機のデジャビュ②

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Aiko Yamamoto
経済 - 12 May 2026

1973年の第一次石油危機を契機に、高度成長路線の見直しを求める声が政府内で強まった。当時蔵相を務めていた福田赳夫氏は、田中角栄首相に対し「超高度成長的な考えを改めよ」と迫り、財政・金融の引き締めを主張した。この経済政策の転換要求は、後の「狂乱物価」抑制へとつながる重要な分岐点となった。

田中首相は1972年に発表した「日本列島改造論」で、公共投資の拡大や国土の均衡発展を掲げていた。しかし、石油危機による資源価格の高騰とインフレ加速を受け、同構想の撤回を余儀なくされる。政府は1973年11月に総合経済対策を打ち出すが、福田氏の強硬な主張が徐々に政策の重心を変えていった。

「もう昭和40年代の高度成長の時代ではない」——福田氏は閣議で繰り返し、需要抑制策の必要性を訴えた。田中首相は当初、成長路線の継続を模索したが、物価上昇率が年率20%を超える状況に直面し、一転して列島改造論の一部凍結を表明するに至った。

この政策転換は、当時すでに過熱していた不動産投機や企業の過剰投資を沈静化させる効果をもたらした。ただし、中小企業を中心に急激な金融引き締めで倒産が相次ぎ、社会に大きな痛みも残した。福田氏と田中氏の間の緊張は、1974年の参院選での自民党敗北後、田中首相退陣の遠因ともなった。

筆者はこのシリーズで、石油危機前後の政策決定プロセスや当局者たちの人間模様を検証する。今回の②では、福田・田中の路線対立がその後の日本経済——第2次石油危機やバブル経済へと続く方向性を決定づけた点を浮き彫りにした。次回は、昭和恐慌以来の「節電令」が発令された1973年末の緊迫を描く。

編集部注:この記事はAIを使用して作成されており、東洋経済オンラインの記事を元に、内容を変更せずにリライトしたものです。
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