呉線の旅で痛感、「コンビニの父」鈴木敏文氏の功績

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Kenji Watanabe
経済 - 03 6月 2026

岡山駅に6時27分、サンライズ瀬戸・出雲が到着した。切り離し作業の間、多くの乗客が売店を探してうろつくが、シャッターは固く閉ざされていた。貼り紙には「3月末で営業を終了しました」とあり、朝の駅に虚しさが漂う。

かつては寝台車の寝間着に着替え、ホームに降りて名物の「祭ずし」とお茶を買い、四国や山陰へ向かうのが定番だった。しかしその風物詩も今は昔。2階コンコースの売店も開いておらず、唯一開いていたのは改札近くのセブン―イレブンだけだった。

「どこも人手不足でしょうね」と同行のサンケイ3号君が嘆く。まさに「後の祭り」とはこのことだ。われわれは岡山で駅弁を買い、山陽線の車内で朝食を済ませて糸崎へ向かい、呉線に乗り換える予定だったが、早々に変更を余儀なくされた。

4両編成の6時44分発三原行きは通勤通学客で混雑し、弁当を広げる余裕もない。仕方なく新幹線で三原まで行き、コンビニでサンドイッチとコーヒーを調達した。セブンに恨みはないが、都会と変わらぬ朝食に旅情はかき消された。

賢明な読者なら「広島に行くならそのまま乗り続ければいいのに」と思うだろう。正論だ。しかし岡山発7時2分のひかり681号は広島に7時54分着。取材相手と落ち合うまで5時間近くあり、お好み焼きを食べるにも店は開いていない。

呉線は日露戦争前年の明治36年、東洋一の軍港・呉と広島を結ぶために開業。三原までの全線開通は昭和10年までずれ込んだが、全盛期には東京や大阪からの直通列車が何本も走っていた。

瀬戸内の風景を期待し、糸崎8時21分発の呉線電車に乗り込んだ。万一座れない場合を考え、三原から一駅逆戻りする形だ(キップはきちんと購入済み)。

糸崎駅に降りるのは初めてだが、なかなか風情がある。明治25年、山陽鉄道の「三原駅」として開業し、機関区が置かれ特急も停車した一大ターミナルだった。駅舎は大正11年竣工の木造骨董品。今では珍しい「百年駅舎」だが訪れる人は少なく、改札口に駅員もいなければ売店もない。

新鋭227系電車はクロスシートでゆったりできるが、飲まず食わずでは体に悪い。駅前も寂れているが、道路を渡るとセブン―イレブンが立っていた。ここでビールと最小限のおつまみを買い込み、いざ呉線へ。

先日亡くなった「コンビニの父」鈴木敏文氏の偉大さが身に染みてわかる。どんな片田舎の駅前にもコンビニがあれば、旅人は路頭に迷わずに済む。というところで、続きは明日のこころだぁ!

編集部注:この記事はAIを使用して作成されており、産経新聞の記事を元に、内容を変更せずにリライトしたものです。
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