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太平洋戦争中の1943年、軍需輸送を目的として開業した東武熊谷線は、沿線住民から「カメ号」の愛称で親しまれた短命なローカル線だった。全長約6キロの路線は熊谷駅と太田駅(現・東小泉駅付近)を結び、戦時下の物資輸送に貢献したが、戦後はモータリゼーションの波に押され、1983年に廃止された。廃線から40年以上が経過した今、線路跡の多くは遊歩道や住宅地に姿を変え、当時の面影をとどめるのはわずかな遺構のみとなっている。
熊谷線の歴史は、軍需省の指導による「臨時軍用鉄道」として始まった。当時、陸軍は熊谷にある陸軍飛行学校や熊谷飛行場への兵站路を強化する必要があり、東武鉄道に建設を要請。用地買収から開業までわずか1年という突貫工事で完成した。開業当初は貨物輸送が主体だったが、翌年から旅客営業も開始。蒸気機関車が牽引する客車は「カメのように遅い」と冗談交じりに呼ばれ、いつしか「カメ号」の愛称が定着した。
運行本数は1日6往復と少なく、所要時間は約20分。沿線には田園風景が広がり、乗客は主に軍関係者や近隣の住民だった。戦後、進駐軍が基地として熊谷飛行場を使用した時期もあり、路線は部隊の移動にも使われた。しかし、1950年代後半から自家用車の普及とバス路線の整備が進み、熊谷線の利用者は減少の一途をたどる。東武鉄道は赤字路線の整理を進める中、1982年に廃止を決定。翌年3月31日、最終列車が「カメ号」の歴史に幕を閉じた。
廃線後、線路跡の大部分は「東武熊谷線跡遊歩道」として整備され、地域の散策路として活用されている。一部は宅地や農地に転用され、熊谷駅近くには当時のホーム跡がわずかに残る。また、廃線跡を活用した「熊谷線緑道」計画も進行中で、サイクリングロードとしての再整備が検討されている。しかし、貴重な歴史遺産の保存を求める声も根強く、地元の郷土史家らが資料や写真を収集し、記録を後世に伝える活動を続けている。
さらに、熊谷線は廃線後も「幻の新線構想」として語り継がれている。かつて沿線自治体は、熊谷線を延伸して秩父地域と結び、観光ルートや産業道路として再生する計画を複数立案した。しかし、莫大な建設費や採算性の問題でいずれも頓挫。現在は跡地を活用したBRT(バス高速輸送システム)やLRT(次世代型路面電車)の導入案が浮上しているが、実現のめどは立っていない。「カメ号」の軌跡は、戦争と地域開発、そして交通政策の変遷を映し出す生きた教材として、これからも記憶されるだろう。