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貸し切り状態だった列車は、薬師堂駅までしか続かなかった。自転車を抱えた旅人が颯爽と乗り込んできたからだ。
1両編成の矢島行き列車は、田植えを終えたばかりの水田の中を、まるで泳ぐように走り抜ける。
幸いなことに、3号君はサンケイ君と違い、晴れ男だ。雲が徐々に切れ始め、子吉川の鉄橋を渡り、曲沢駅が近づくと、鳥海山がくっきりと姿を現した。この山があるからこその由利高原鉄道である。
由利高原鉄道は、国鉄矢島線を前身とする典型的な盲腸線だ。昭和60年、同線を引き継ぐ形で、県や地元自治体などが出資する第三セクター鉄道として再出発し、昨年40周年を迎えた。とはいえ、経営は厳しく、少しでも赤字を減らそうとあの手この手で努力を続けている。
YR3000形車両は、大きな窓としっかりしたテーブルが備わっている。本来ならビールや日本酒、秋田ならではのつまみを並べ、鳥海山を眺めながら一杯やりたいところだが、ここは我慢だ。昨夜の飲み過ぎで体調が悪いからではない。
実は終点の矢島駅から「affetto(アフェット) train~おもちゃ列車で愉(たの)しむレストラン列車」に乗り込むためだ。イタリア料理に合った旨(うま)いワインを何杯も飲めると聞き、楽しみはとっておくことにした。
「盗人の昼寝にもあてがある、というわけですね」と3号君が気の利いた一言を口にした。
アフェットとはイタリア語で愛情を意味する。羽後本荘駅から車で5分のイタリア料理店「affetto akita」のことだ。おもちゃ列車は車内に木のボールプールや木のおもちゃがあるユニークな列車で、運行予定は前日午後にホームページで確認できる。
前郷駅では羽後本荘行きと行き違う。ここで昔懐かしいタブレット交換が行われる。全国でも4カ所しか残っていないという。
トンネルを抜けると、間もなく終着の矢島駅に到着した。鉄道ファンに評判の駅売店「まつ子の部屋」の主、まつ子さんが満面の笑みで迎えてくれた。
まつ子さんは三十数年にわたりこの駅でおもてなしを続けているが、職員ではない。駅の売店兼旅行代理店が撤退した際、「駅の灯を消してはならぬ」と直談判して一角を借り、「まつ子の部屋」を始めたという。
彼女が達筆で書く「鉄印」は大人気で、この日も悩める愛好家が何やら話し込んでいた。
「アフェット トレイン」は、まつ子さんたちの熱烈な見送りを受けて13時5分に出発した。いかに至福の時を過ごしたかは、明日のお楽しみだ!(コラムニスト 乾正人)