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米連邦準備制度理事会(FRB)の議長を1987年から2006年にわたって務めたアラン・グリーンスパン氏が22日、パーキンソン病の合併症により死去した。100歳だった。複数の米メディアが報じた。巧みな金融政策運営で米国経済の安定成長を支え、「マエストロ(名指揮者)」と称された。民主、共和両党の4人の大統領に仕え、世界経済に多大な影響を及ぼすFRBへの国際的な信認を高めた。
ニューヨーク市東部で生まれたグリーンスパン氏は、幼少期から数学の才能を示し、一時は音楽家を志した。ニューヨーク大学で経済学を専攻した後、エコノミストとして幅広い統計を精緻に分析する手法で名をはせた。1974年にはフォード共和党政権で大統領経済諮問委員会(CEA)委員長に就任し、公職の道を歩み始めた。
1987年8月、レーガン大統領(共和党)に指名されてFRB議長に就任。同年10月に発生した株価大暴落「ブラックマンデー」には大胆な金融緩和で対処した。さらに2001年の米中枢同時テロなどの危機も乗り切り、FRB議長としての名声を確固たるものにした。
投資家の思惑を先読みしながら市場にメッセージを発信し、米株式市場の過熱を「根拠なき熱狂」と呼んで牽制するなど、混乱の芽を摘む「市場とのコミュニケーション」に長けていた。クリントン民主党政権でも再任され、約18年にわたってFRBを牽引し、米国経済の堅固な成長を後押しした。
FRB議長を退任した後も、旺盛な経済・市場分析に取り組み、その発言や論考は世界のエコノミストや中央銀行関係者の注目を集め続けた。