t>

今夏、SNSを中心に静かな熱狂を呼んでいるドラマ『Tシャツが乾くまで』。ある日突然、夫がバス事故に巻き込まれたことをきっかけに、主人公・咲子の胸に浮かび上がる疑惑と揺れる感情を、蒼井優が全身で体現している。しかしこのドラマ、一口に「感動する」とは言いがたい。観る者をして「透明感があるのに、どこかくすんでいる」と評させる特異な空気感が、むしろ蒼井優の真骨頂を浮き彫りにしている。
「透明感」と「くすみ」――相反するように思えるこの二つの言葉が、咲子という人物を言い表すのにこれほどふさわしい形容はない。夫の生死が不透明な中、彼女は淡々と日常をこなす。泣き叫ぶわけでもなく、周囲に助けを求めるわけでもない。その落ち着いた佇まいが「透明感」として映る一方、視線の先にある迷いや、言葉の端々に滲む苦みが「くすみ」となって観る者の胸に刺さる。蒼井優は、この複雑な心理を、過剰な感情表現に頼らずに描き切る。
特筆すべきは、このドラマが狙って「共感や感動」を観客に与えない点だ。咲子は夫に対して「本当に愛していたのか」と自問し、次第に自分自身の感情の正体を見失っていく。視聴者は彼女に感情移入するよりも、むしろどこか冷めた目でその過程を見つめることになる。だが、それこそが製作者の意図だろう。事故という非日常の中で、人間が直面する「リアルな不気味さ」を描くには、あえて共感の回路を遮断する手法が有効なのだ。
蒼井優の凄みは、その「遮断された感情」の内側に、微かな震えや息遣いで奥行きを与える点にある。彼女はこれまでも、『万引き家族』や『岸辺の旅』などで静かな狂気や深い哀しみを表現してきたが、本作ではさらに抑制が効いている。例えば、事故の知らせを受けた後の、何もない虚空を見つめる一瞬の間。あの間が、台詞では語られない咲子の心の澱を雄弁に物語る。
『Tシャツが乾くまで』は、エンターテインメントとしての「分かりやすさ」を拒むことで、むしろ蒼井優という女優の稀有な才能をあらためて知らしめた。観終わった後に残るのは、すっきりとした感動ではなく、どこか引っかかるようなモヤモヤだ。しかし、そのモヤモヤこそが、この作品の価値であり、蒼井優が放つ「くすみ」の正体なのだろう。彼女の演技を追いかけてきた者にとって、これほど興奮する挑戦はない。