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大阪松竹座、米国流ムービー・パレスとして完成 ネオ・ルネサンス外観の保存

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Haruki Sato
経済 - 01 7月 2026

大阪・道頓堀の変貌と大阪松竹座(大阪市中央区)について、前回に続いて述べておきたい。

明治時代末から大正時代にかけて、松竹が道頓堀の「五座」を次々と買収して傘下に収めていった。各劇場を改築するとともに、小屋ごとに特徴ある演目に特化したプログラムを提供した。伝統的な芝居の街であった道頓堀を、近代的な興行街に改める試みであったと評価できる。

新たな興行街の象徴が大正12(1923)年春に完成した大阪松竹座である。大林組が施工、同社の技師であった木村得三郎が設計した鉄筋コンクリート造の本格的な洋式劇場である。

松竹は「民衆芸術の第一殿堂たる純欧風劇場」などとうたい、洋画や邦画など活動写真の上映に加えて、松竹楽劇部、歌舞伎や新劇、新派などの演劇、管弦楽団などによるクラシックコンサート、曲芸、そして舞踊の公演など、さまざまな演目を組み合わせるプログラムを提供した。同年5月17日に開場式、翌日のこけら落としでは、野村芳亭が監督した映画『母』、松竹管弦団の演奏、松竹楽劇部(現OSK日本歌劇団)によるレビュー『アルルの女』が上演された。

大阪松竹座は、凱旋門風の正面デザインが印象的だ。当初の建物に関しては、イタリア・ミラノのスカラ座に範をとったという説がある。観客席の構成や意匠などを評した指摘だろうが、少なくとも外観に関していえば、先例として意識されたのは米国の映画館建築だろう。

映画が世界的に人気を集めるなかで、精巧な装飾を施した絢爛豪華な映画館建築が米国の各地に建設された。一般市民に欧州の貴族のような気分を提供することを意図したもので「ムービー・パレス」、すなわち「映画の宮殿」と総称される。1920年代には各種の歴史的な様式を折衷した新古典主義が多く採用され、1930年代にはアール・デコ調が流行した。また、「アトモスフェリック・シアター」と呼ばれる映画館もあり、天井面を濃い青色に塗装し、観覧席やスクリーン周囲を建物の外壁のようにデザイン、異国情緒ある動植物を壁面に描き、映画開始時には雲や星を天井に投影して、内部を巨大な邸宅の中庭に見せかける演出がなされた。

編集部注:この記事はAIを使用して作成されており、産経新聞の記事を元に、内容を変更せずにリライトしたものです。
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