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第二次世界大戦中の英国で、日本の暗号電報を解読するために、わずか6カ月で日本語を速習させる秘密の日本語学校がロンドン郊外のベッドフォードに存在していた。卒業生は戦後、多様な分野で活躍したが、この学校の存在は長期間にわたり秘匿されていた。生存する卒業生の一人で、日本陸軍の暗号解読に従事したパトリック・フィールドさん(92歳)は、本紙の取材に対し「日本は遠い存在ですが、今でも懐かしく感じます」と語った。
ロンドンから電車で約40分の距離にあるベッドフォードは、静かなベッドタウンである。その中心部、公園の周囲を流れる小川のほとりに、現在は保育所として利用されている3階建ての住宅があり、そこにかつて秘密日本語学校が設置されていた。
日英同盟が失効した1923年以降、英国は香港を拠点に日本の暗号解読作業を進めていた。1941年12月に太平洋戦争が勃発し、英艦隊の拠点であったシンガポールが陥落すると、日本語の専門家を増強する必要性が生じた。
暗号解読に特化した人材を短期間で育成するため、英秘密情報部(SIS、通称MI6)で日本海軍暗号の解読に従事したジョン・ティルトマン大佐が、この学校を創設したのは1942年2月のことだった。
当時、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)の日本語学校では、戦場で捕虜の尋問や日本軍から接収した文書の翻訳を行う人材を養成していたが、その教育には約3年を要していた。一方、秘密日本語学校は6カ月という短期間で実践的な能力を身につけさせることを目的としていた。
秘密日本語学校の1期生は女性1人を含む23人で、終戦までに合計225人が学んだ。多くはオックスフォード大学やケンブリッジ大学などの名門校で学び、語学の才能を認められた俊英であった。彼らは書き言葉の読解力を重点的に訓練され、日本の軍事用語を中心に1200語を暗記し、戦艦名や地名など陸海軍に関する漢字も習得した。
卒業後、ほとんどの学生はロンドン郊外のブレッチリー・パーク(政府暗号学校)のハット7(日本セクション)に配属され、傍受した日本の暗号電報の解読に従事した。彼らは外務省や陸海軍の暗号電報のほとんどを解読することに成功した。