
鹿児島県伊佐市の山道を外れて斜面をよじ上ると、生い茂る木々に囲まれた廃虚が姿を現す。当時の開拓地には電気も届かず、戦後の高度経済成長から取り残された集落だった。山本美季男さん(73)は幼い頃を過ごした家の跡を案内し、今はこけむしたブロックの壁だけが残る光景を前に言葉少なだ。
「てんびん棒を担いで山を登ってきた。駅から30分くらいかな」。山本さんはそう振り返る。ふもとには1988年に廃線になった国鉄山野線の薩摩布計駅があり、約20キロ離れた水俣駅(熊本県水俣市)から行商が列車に乗ってやってきた。彼らは山中の集落で鮮魚や干物を売り歩いたという。
「国はこんな所に魚が来るもんかと言いますが、確かに来ていたんですよ」。山本さんの証言は、国の公式見解とは異なる現実を示している。実際に水俣病の原因となった水銀を含む魚が、海辺から山間部へ運ばれていた可能性が浮かび上がる。
山本さんの祖母も水俣病と非常によく似た症状を持っており、20年間病院に繋がれた末に早く亡くなった。祖母は不知火海から山を越えた有明海側に住んでいたが、本人もよく行商で山を越えた。山向こうからやってきた品々も日常的に口にしていたという。
この証言は、水俣病の被害が海辺の地域だけでなく、内陸部の山間集落にも広がっていた可能性を裏付ける。公式に認められた患者以外にも「ニセ患者」と見なされた人々の存在が、50年以上経った今もなお声を上げている。
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