
「貧困を断ち切ることができるのは教育だけ」。35年続けた地道な空き缶拾いで集めたお金で、大阪の老夫婦がネパールの農村に建てたのは4つの学校だった。今では600人以上の子供が元気に学び、卒業生が教師として再び学校に戻ってくる「教育の連鎖」も。希望のなかった村に夫婦の献身的な取り組みが光をともした。
夫婦は大阪府富田林市の沖田文明さん(79)と妻の弘子さん(78)。もともと開発途上国の子供を支援する公益社団法人「アジア協会アジア友の会」(大阪市天王寺区)のメンバーだった2人が、ネパールの現状を知るため現地の農村を訪れたのは平成2(1990)年のことだった。
深刻な貧困を抱え、子供が家族を支える働き手になるのが当たり前。路上で物を売るいわゆる〝ストリートチルドレン〟があふれていたという。
背中に赤ちゃんを背負った5歳ほどの少女はひどく瘦せ、靴も履いていなかった。必死に笑顔を作り、身ぶり手ぶりで果物や手芸のネックレスを手渡そうとする姿に胸を打たれた。まともな教育が受けられる場所はなく、唯一学校と呼ばれていたのは雨風もしのげない草ぶき屋根の小屋だけだった。
決意した2人だったが、他のボランティアスタッフの活動費なども手広く支援していたこともあり、建設に必要な100万円をすぐに用意することは難しかった。
そこで目に留まったのが収集場に山積みになった空き缶のゴミだった。当時は収集場からの持ち出しが法律で禁止されておらず、値段の高低が激しいアルミ缶は1キロ約50~200円ほどでスクラップ業者に買い取られていたという。弘子さんは自転車で富田林市内の収集場をいくつも回った。缶で満杯になった袋をいくつもハンドルに結び、額に汗を浮かべながら自転車を押した。「周りからどんな風にみられているかな」と人目が気になることもあったが、異国の子供たちを思う気持ちが勝った。
活動は実を結び、たった2年で目標の金額が集まった。全額を寄付し、村にもともとあった小屋をれんが造りの校舎へと建て替えた。教室は5つあり、150人の生徒が通うことのできる立派な学校になった。
「さらに多くの子供に教育を受けるチャンスを」と夫婦はその後も活動を続けた。収集場からの持ち出しが禁止されてからは、自宅の前に回収用の特設スペースを作り、近隣への協力を呼びかけた。気が付けば、これまでに1000万円以上を集め、これまでに2つの村に学校3校と図書館1棟を贈った。大阪の地域住民の協力も増え、机や椅子、ホワイトボードやロッカーなどの備品も充実させることができた。「子供の無限の可能性を後押しするため、協力してくれた方に本当に感謝しています」と夫婦は話す。
昨年3月、沖田さん夫婦は4校目としてネパール南部のピトゥリ村に建設した「スリーサンティ小学校」の校舎完成式典に招かれた。村人総出で迎えられ、校門前には2人の名前が刻まれたプレートが設置されていた。ストリートチルドレンばかりだった通りは、今では制服姿の子供たちの通学路に。「新しい教室で絵を描いて、勉強ができてとても幸せ」と感謝も伝えられた。学校の卒業生が先生になり、子供たちに勉強を教えるケースも出てきたという。「身近な『空き缶拾い』でも一つの村の姿を変えることができるんです」。(鈴木源也)