
核不拡散条約(NPT)の再検討会議が米ニューヨークで始まり、日本からは被爆当時幼かったり生まれる前だったりする12人の被爆者が参加した。彼らは鮮明な記憶はないものの、平和への思いを届けようと声を上げ続けている。
ニューヨーク・ブルックリンの日本語学校で、杉野信子さん(82)は身ぶり手ぶりを交えて語った。「炎の中で母は私を抱いて逃げた。爆心地近くにいた兄の遺体は見つからず、姉は大やけどを負ってまもなく亡くなった」。1歳半で広島被爆した杉野さんは、中学生のころから鼻血が出ると「『原爆の放射線による白血病なんだ。死ぬかもしれない』と不安だった」と明かし、「核兵器がいつ使われてもおかしくない。核廃絶を訴え続けなければ大変な世の中になる」と警鐘を鳴らした。生徒の一人は「被爆したことで今でも病気におびえていることに驚いた。原爆のことは教科書や映像で知っていたが、直接話を聞くと感情に刺さるトーンが違う」と語った。
翌26日には、日本被団協や原水爆禁止日本協議会など4団体の代表団180人がニューヨーク市街地を行進するパレードがあった。長崎原爆の被爆者で原水協の代表の一人、今井セイ子さん(80)は横断幕を手に先頭を歩き、出会った人たちに折り紙のハトを渡した。「歩きすぎて足がパンパンになったが、多くの人がパレードを見てくれた。核兵器廃絶への思いが伝わっていたらうれしい」と話した。一緒に行進した米国の平和団体に勤めるアンドウィン・デボスさん(24)は「世界は過去に起きた広島・長崎の原爆投下の過ちを学ばなければならない。核兵器廃絶を訴え続けることが、唯一の手段」と指摘。別の団体のタラ・コリーさん(73)も「被爆者は第2次世界大戦の恐ろしさを証言してくれる勇気ある人たち。彼らの話を聞くことは貴重なことだ」と語った。
学者で大学の客員研究員のデビット・コートライトさん(79)は「核兵器をコントロールすることはできない。被爆者の経験がそれを示している。彼らの訴えに勝るものはない」と述べ、作家のウィリアム・ハータンさん(70)も「核兵器と人間は共存できない。核による威嚇や脅威の先にあるのは核の使用。取り返しのつかないことになる」と語った。一方で、60代の男性医師は「理想としては核兵器はなくしたほうがいい。ただ、軍縮や廃絶の姿勢を見せても、結局どこかの国が秘密裏に核兵器を持ち続ける。廃絶は難しいだろう」と懐疑的な見方を示した。弁護士のアレックス・セーキンさん(46)は「世界は核兵器を必要とする。核抑止こそが国を守る唯一の手段。核兵器と人間は共存できる。だってこの80年、核兵器は使われていないでしょ」と話していた。
被爆者団体にとってNPT再検討会議は、核保有国や各国代表に直接声を届ける重要な機会だ。日本被団協はかつて30~40人の被爆者を派遣してきたが、今回は12人。それでも彼らは核廃絶への思いを世界に発信し続けている。
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