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1993年春、信用不安の火種となった兵庫銀行の再建を託された元銀行局長・吉田正輝。度重なる辞退の末に押し切られ就任を決意するも、想像を超える不良債権の実態に直面し愕然とする。銀行不倒神話が崩れ始めた、その舞台裏に迫る。
吉田は大蔵省時代に銀行行政を担ってきたベテランだった。しかし、退官後に経営が悪化した兵庫銀行の再建を要請され、固辞したものの、金融当局の強い要請に折れた。就任後、帳簿では隠されていた不良債権の膨大さに直面する。
兵庫銀行の不良債権額は総資産の30%を超えていた。吉田は再建計画の策定に奔走するが、業績は改善せず、むしろ悪化の一途をたどる。取引先企業の倒産が相次ぎ、貸出金は焦げ付く一方だった。
日銀の三重野康総裁は吉田に対し、「預金保険を使って、早く収束を」と助言した。預金保険を使うことは銀行の破綻処理を意味し、吉田はその厳しい現実に青ざめたという。銀行を守るための常識が覆される瞬間だった。
その後、兵庫銀行は1995年に破綻し、銀行不倒神話は完全に崩壊した。吉田はこの経験を後に「銀行業界の常識を覆す転機だった」と振り返っている。信用秩序の維持と預金者保護の狭間で揺れる金融行政の苦悩が浮き彫りになった。