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水俣の汚染魚、山奥の集落へ運ばれた過去 線引き覆す新証言

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Kenji Watanabe
経済 - 30 Apr 2026

鹿児島県伊佐市の山道を外れて斜面をよじ上ると、生い茂る木々に囲まれた廃虚が見えてきた。山本美季男さん(73歳・岐阜県可児市)に幼い頃を過ごした家の跡を案内してもらった。こけむしたブロックの壁だけが残る一帯は戦後の開拓地で、当時は電気も届いていなかった。高度経済成長の波から取り残された集落に、その行商は足しげく通ってきていたという。

「てんびん棒を担いで山を登ってきた。駅から30分くらいかな」と山本さんは振り返る。ふもとにあったのは1988年に廃線になった国鉄山野線の薩摩布計駅。約20キロ離れた水俣駅(熊本県水俣市)から列車に乗ってきた行商が、山中の集落で鮮魚や干物を売り歩いた。「国はこんな所に魚が来るもんかと言いますが、確かに来ていたんですよ」と山本さんは証言する。

この山本さんの証言は、水俣病の原因物質である有機水銀に汚染された魚が、水俣湾周辺だけでなく内陸部にも広がっていた可能性を示している。公式には水俣病の発生地域は不知火海沿岸に限定されてきたが、行商によって山間部にも汚染魚が運ばれていた実態が浮かび上がった。このことを裏付けるように、山本さんは「ああ、心が痛いです。実は私の祖母も、水俣病と非常によく似た症状を持っており、20年間病院に繋がれ、早くに亡くなりました。住んでいたのは不知火海から山を越えた有明海側。しかし本人もよく行商で山を越えていましたし、山向こうからやってきた品々もよ」と自らの家族の経験を明かした。

水俣病は1956年に公式確認されてから今年で70年を迎えるが、被害の全貌はいまだ解明されていない。今回の証言は、国が認定した「線引き」の外側にも被害者が存在する可能性を改めて示すものだ。朝日新聞は水俣病「未解決」への思いを探るアンケートを実施。海辺の街の異変や仕事をあきらめた人々の声、竹下景子さんが水俣の一枚写真から受けた衝撃など、多角的に検証している。

一方、生まれる前に水銀中毒となった女性や不自由な体を持ちながらもかなわなかった「想い」を抱える人々の存在も明らかになっている。環境省研究班は「水俣病の健康調査を実施し得る」とし、今年度実施に向けて結論を出す方針だ。水俣病をめぐっては長年の訴訟や認定基準を巡る議論が続いてきたが、新たな証言は被害の実態が従来の認識を超えるものであることを示唆している。


📝 編集部注:この記事はAIを使用して作成されており、
朝日新聞デジタル
の記事を元に、内容を変更せずにリライトしたものです。
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