
今年度の当初予算が成立したことに伴い、高額療養費の自己負担上限額が引き上げられることが決定した。この制度変更を巡り、医療現場や当事者からは強い懸念の声が上がっている。医療ライターの雁屋優さんは、Re:Ronへの寄稿の中で「病気の人をどう殺すか、という検討そのものに感じられる」と述べ、現状への危機感を露わにした。社会保障の根幹を揺るがしかねない議論が、私たちの知らないところで進んでいる。
雁屋さんは先天性の眼皮膚白皮症という難病と共に生きており、「病気でない自分を知らない」と語る。彼女は大学で生物学を専攻した後、現在は医療秘書とライターを兼業しながら、医療の在り方を見つめ続けてきた。自身は指定難病の医療費助成を受けているため、現時点で高額療養費制度の直接的な利用者ではない。しかし、制度の改変がもたらす影響は、決して一部の人々に留まるものではない。
社会保障制度の縮小は、いつ自分たちの身に降りかかるか分からない恐怖を伴う。雁屋さんは、制度が切り崩されていく現状に対して、殺されるのは「次は私ではないか」という切実な思いを綴っている。この言葉は、単なる批判を超えて、生存権を脅かされる者の叫びとして重く響く。今は助成があるとしても、そのセーフティーネットがいつまで維持されるかの保証はない。
私自身も頻繁に病院へ通う身であり、この問題は決して他人事ではないと感じている。現在は幸いにも制度に頼らずに済んでいるが、将来的に高額な治療が必要になる可能性は誰にでもある。雁屋さんも「現在高額療養費制度を利用していなくても、他人事ではない」と指摘し、広く警鐘を鳴らしている。健康な時には見えにくい制度の重要性を、いかに「自分事」として捉えるかが問われている。
私たちが目指すべきは、病気があっても安心して暮らせる社会の構築である。世界保健機関(WHO)は、「健康とは、完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない」と定義している。病気による制約を最小限に抑えることは、すべての人にとっての利益に繋がるはずだ。制度の改変が、単なるコストカットではなく、人々の生存を守るためのものであるべきだ。
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