
1986年4月に起きたチェルノブイリ原発事故から、今年で40年が経過した。しかしウクライナの人々にとって、この事故は決して過去の出来事ではない。
2022年に始まったロシアによるウクライナ侵略で、ロシア軍はベラルーシ側から首都キーウを目指して進軍した。ベラルーシ国境から約10キロに位置するチェルノブイリ原発は、ほぼ侵攻と同時に占領された。原発が戦場となり、多くの人が40年前の放射能災害の記憶を再び呼び起こした。
それだけではない。この戦争は、長年にわたり放射能被害に苦しむ子供たちを支援してきたウクライナ中部ジトーミル州に拠点を置く「チェルノブイリ・ホステージ財団」の活動にも大きな影響を与えた。同原発から約70キロの位置にある同州で2001年に設立されて以来、甲状腺がんなどに苦しむ子供たちを支えてきたが、開戦直後に支援の形が大きく変わった。
小児病院や孤児院にいた子供たちは、戦争が始まったからといって簡単に避難することができなかった。孤児院には0歳から5歳までの幼い子供たちもいたが、粉ミルクを保管していた薬局は従業員が避難するため閉鎖された。孤児院の職員は粉ミルクの確保に奔走したという。それを知った財団は、海外から粉ミルクや支援物資を確保し、孤児院や小児病院、児童養護施設などへ届け続けた。
戦争が長期化する中、財団の支援活動はさらに変化している。現在、大きな柱となっているのが、子供たちへの精神的ケアだ。戦禍が激しかった東部マリウポリや南部ヘルソンからも多くの子供たちが避難してきた。「子供たちは想像を絶する恐怖を経験しており、特別なケアが必要です」。そう話すのは、財団代表のエフゲニア・ドンチェバさんだ。
しかし、ウクライナではスクールカウンセラーが不足している。支援する側もまた戦争によって深い心の傷を抱えている。昼夜を問わず繰り返されるロシアによる空襲。侵略が当たり前となってしまった国が日本のすぐ近くにあるという現実に、私たちはどう向き合えるのだろうか。
(日本語学校教頭 坂本龍太朗)さかもと・りょうたろう 昭和61(1986)年生まれ、長野県千曲市出身。2010年、ポーランドの大学院入学を機に移住。11年、ワルシャワに日本語学校を設立し、教頭として日本語や和太鼓など日本文化を伝えている。著書に「ウクライナとともに 涙と笑顔、怒りと感謝の365日」(双葉社)など。支援先の詳細は千曲市ホームページ。