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幸楽苑は2010年代後半に関西から撤退し、コロナ禍で加速した赤字から2024年3月期に黒字化を達成した。2021年に相談役へ退いた創業者の新井田傳氏が2023年に社長復帰し、業績回復を主導した。本稿では長期不振の原因と回復の要因を歴史的に検証する。
幸楽苑の起源は1954年、新井田司氏が福島県会津若松市で開いた「味よし食堂」にさかのぼる。1967年に「幸楽苑」へ商号変更し、70年に傳氏が法人化。直営方式で北関東や埼玉・千葉へ拡大した。
2001年の新業態店はデフレ下で低価格を打ち出した。自社工場で麺やギョーザを製造していたため低価格が可能で、06年から「中華そば」を290円で提供し支持を得た。
だが2010年代に入り業績が悪化。原材料費の高騰が続く中、低価格が収益を圧迫し始めた。
営業利益は13年度に1ケタ台へ落ち込み、18年3月期には赤字転落。中華そばが麺類売上高の3割を占め、売れば売るほど利益を削る構造となった。
東北・北関東のロードサイドではドミナント戦略で低コストを実現したが、進出した関西では黒字店不足に苦しみ、18年3月期に京都工場を売却。その後西日本から撤退した。
競合の日高屋は駅前立地に強みを持つが全国展開はしておらず、低価格業態の遠方進出には赤字覚悟が必要だ。幸楽苑は関西の収益化前に撤退を決断した。
スクラップ&ビルドで19年3月期は16億円の黒字を計上したが、19年度は台風で郡山工場が操業停止。コロナ禍で赤字は一時20億円に拡大し、店舗数も100店以上減少した。
コロナ禍ではロードサイド業態が都市部より復調が早い傾向があるが、幸楽苑はその流れから外れた。
筆者は、ロードサイドで台頭した家系ラーメン「町田商店」に対し、町中華中心の幸楽苑は麺類に特徴がなく集客で劣り、サイドメニューも不足していたと分析する。低価格目当ての客が多く、290円ラーメンの廃止や値上げが離反を招いた。
経営陣は18年に傳氏の長男・昇氏が社長就任。傳氏は会長を退き相談役となったが、「当社の発展のために創業者が復帰することが最善と判断」として23年6月に再び社長に就いた。
24年度から非連結決算に移行。非連結化前基準で25年3月期の売上高は前年比10億円増の約278億円、営業利益は3300万円から10億円超へ急増。26年3月期は売上高290億円、営業利益13億円を予想する。
不採算店閉鎖と段階的値上げが効いた。傳氏体制下で定食メニュー拡充や「中華ダイニング」へのリニューアルなど新メニュー投入が進み、昼夜の売上構成比は6対4から5対5に改善。客数も20年比で7割から9割水準まで回復した。
ただ傳氏は81歳と高齢で、6月には非創業家の専務・芳賀正彦氏が社長に就任予定。芳賀氏は東北・関東に集中し総店舗数500を目指す方針で、駅前出店も検討。今後の行方は同氏の手腕にかかる。
本記事は経済・テクノロジー・不動産分野を専門とするライターが執筆した。企業分析や都市開発記事を担当し、簿記・FP資格を持つ。趣味は経済書や決算書の読書。Xアカウント:@shin_yamaguchi_。
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