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サッカーワールドカップ(W杯)北中米大会が佳境を迎えている。試合そのものは面白いものの、拭い去れないモヤモヤ感が漂う大会となった。
史上初めて出場枠が48に拡大された今大会では、予想通り競技レベルへの懸念が現実のものとなった。初めて9チームが出場したアジアからは日本とオーストラリアが1次リーグを突破したが、ラウンド32でともに敗退。アジア勢の成績は3勝10分け16敗(PK戦は引き分け扱い)、25得点60失点にとどまった。
「人口=普及=市場」という商業主義の帰結とはいえ、アジア以外の3大陸がベスト8に進出している現状を前に、情けなくもあり恥ずかしくもある。日本が出場を逃した1994年米国大会は出場24チーム中アジア枠2だったが、当時も現在の規模であれば「ドーハの悲劇」は起きなかっただろう。本大会の門を再び狭くするか、アジア枠を減らすべきではないか。
何より今大会を強く印象づけたのは、米国による政治的介入だ。大会前からイラン選手団の米国入りに難癖をつけ、合宿地をメキシコに追いやり、試合直前の入国しか認めなかった。さらに悪質だったのは、米国選手の出場停止処分を1年間猶予するという国際サッカー連盟(FIFA)の判断である。トランプ米大統領がFIFA会長へ電話で依頼したとされる。FIFAの汚職事件や幹部逮捕はさもありなんというところだが、ゲームやルールに対するあからさまかつ不当な介入は、競技団体としての存在意義を疑わせる事態だ。
商業主義の行き着いた先が、米国の顔色をうかがい、競技レベルに疑問が残る大会だったと感じる。論理的、倫理的に考えればW杯など見るものではない。頭では分かっていてもそうもいかないのがサッカー好きの弱みである。次回大会もブツブツ言いながら一喜一憂するのだろう。