「非戦の誓い」を次世代へ 17歳の逃避行を書き残した母と、遺志を継ぐ71歳の息子の決意

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Aiko Yamamoto
国際 - 29 Apr 2026

奈良県五條市に住む小川文男さん(71)が、亡き母の戦争体験を語り継ぐための講演会を初めて開催する。母の哲子(さとこ)さんがこの世を去ってから5年が経過したが、世界では今なお争いが絶えることはない。文男さんは、凄惨な引き揚げを経験した母が抱き続けた平和への強い思いを、今こそ次世代に伝えるべきだと決意した。かつて母が立っていた講演の場に、自らも立つことでその遺志を継承しようとしている。

哲子さんの過酷な運命は、1945年8月、当時17歳だった彼女が暮らしていた朝鮮半島の港町・羅津から始まった。ソ連軍の侵攻により、家族は日本兵とともに決死の覚悟で南を目指す逃避行を余儀なくされた。道中では銃弾が飛び交い、雑草を食べて飢えをしのぎながら、野宿を繰り返す日々が続いたという。この道中で哲子さんは父を病で亡くすという、言葉に尽くせない悲劇も経験している。

その後、哲子さんは母とともに米ソに分断された北緯38度線を徒歩で突破し、釜山から日本へと何とか引き揚げることができた。帰国後は母の故郷である奈良県十津川村で小学校教諭として教職に就き、平穏な日々を取り戻していった。かつて自身も教諭であった三男の文男さんから勧められたことを機に、彼女は自らの体験を後世に残すための執筆活動を開始した。2006年ごろには、自らガリ版を刷って知人らに配り、自らの記憶を記録として留める努力を続けた。

哲子さんは2008年に自宅で講演会を開催した際、記念として玄関先に「非戦の誓い 子らに伝えよ」と刻んだ石碑を建立した。この言葉には、二度と同じ過ちを繰り返してはならないという、実体験に基づいた重い願いが込められている。2020年には手記を「敗戦の覚え書」として自費出版し、翌年4月に92歳でその生涯を閉じた。彼女が遺した言葉と石碑は、今も文男さんの活動を支える大きな心の拠り所となっている。

文男さんは、母が歩んだ17歳の逃避行を風化させないという強い覚悟で、語り部としての第一歩を踏み出す。80年近く前の出来事であっても、戦争がもたらす悲劇の本質は現代にも通じると彼は考えている。今回の講演会を通じて、参加者一人ひとりが平和の尊さを再確認することを文男さんは切に願っている。母が命がけで繋いだバトンを、彼はこれからも大切に次世代へと手渡していくつもりだ。


📝 編集部注:この記事はAIを使用して作成されており、朝日新聞デジタルの記事を元に、内容を変更せずにリライトしたものです。
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