
ミサイルが発射されてから着弾まで、政治に許される時間は憲法論争を一巡させるほど長くない。日本の安全保障の議論には、決定的な時間軸のずれがあり、この認識が欠如しているために議論が空転している。
中国本土や沿岸部から、中距離級ミサイルが発射されたと想定しよう。米軍衛星や日米レーダーによる早期警戒、着弾予測、政治判断や法的確認などの対処は数分の中に押し込まれる。公式な数字は示されていないが、最短なら4~6分、標準的にみても6~10分で着弾し得るものとされる。
この現実の下では、憲法論争どころか、息をつく間もない瞬時の作業となる。にもかかわらず、国会や言論空間では「撃ってよいのか」「憲法9条上許されるのか」「誰が、いつ決めるのか」という問いが、今も平時の速度で反復されている。
日本の議論の本質はここにある。ミサイルの速度ではなく、戦後政治の慣性で動いているため、現実の脅威に即した検討が進まない。時間的切迫を無視した「信仰」対立が議論を硬直させている。
安全保障政策を有効に機能させるためには、この時間軸のずれを直視し、「信仰」対立からの脱却を図る必要がある。現実の危機管理に即した、速度を考慮した議論への転換が急務だ。