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「90番がお呼びだ」1軍初ヒットと松井秀喜との同室秘話 篠塚和典が語る

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Kenji Watanabe
経済 - 14 7月 2026

〝穴ぐら〟で打つ練習や、ミスター長嶋茂雄監督に頭をめがけてボールを投げられるなどの指導を受けたことで、バッティングに対する考え方が一変した。きわどいコースは絶対に見逃さず、ゾーンから少し外れていても積極的に打ちにいく意識を持つようになったという。

プロ入り当初は「ストライクを打て」と指導されるのが普通だった。しかし、審判の判定次第でボール球がストライクとコールされることもあり、それを見逃して悔しい思いをした経験から、ボール1個から1個半程度外れていても打てる技術と意識を身につけようと決意した。

同じ時期、打撃時に右腰が上がる癖があった。これもミスターが見抜き、「右足を地面に潜るようにグッと押し込め」とアドバイスしてくれた。そのおかげで癖は克服された。

プロ2年目の昭和52年、開幕は2軍で迎えた。8月4日、2軍の北海道遠征中に池田町に滞在。十勝ワインで有名な地だ。そこで岩本堯2軍監督から「90番(長嶋監督の背番号)がお呼びだ。川崎に行け」と告げられた。自分一人だけだった。池田町から電車で札幌へ移動し、ホテルに1泊。翌5日、午前の便で羽田に着き、川崎球場へ向かった。対戦相手は大洋(現DeNA)だった。

河埜和正、土井正三の両選手に加え、リンドもケガで欠場し、二遊間が手薄な状況。初の1軍昇格に「すげぇ不安でした」と振り返る。何者かわからないまま球場に入り、三塁ベンチで大洋の練習をずっと見つめていた。

巨人の選手で最初に球場に姿を見せたのは張本勲だった。直立不動で挨拶すると、張本から「がんばれよ」と声をかけられた。その後、徐々に選手が集まり、長嶋監督は比較的遅く到着した。呼ばれて挨拶に向かった。

すると長嶋監督からいきなり「お前、先発だから」と告げられ、ドキッとした。7番ショートでの出場。緊張の中、一回の守備で1番・山下大輔の打球をうまくさばき、そこからリラックスできたという。

大洋の先発は斎藤明夫(現明雄)。新人ながら見事なカーブを武器にしていた。1打席目はカーブを見逃して三振。しかし五回の2打席目、高めのストレートをとらえ、センター前にプロ初ヒットを放った。

一塁ベース上でベンチに目をやると、長嶋監督や王貞治ら全員が「ナイスバッティング」と手を叩いて祝福してくれた。1年前の同日に2軍戦で初ヒットを記録しており、8月5日は自身の記念日となった。この試合では守備でも二塁手上田武司とのコンビで4併殺を決めている。

試合は張本の2本塁打などで快勝。1軍初遠征では張本と同室となった。当時は旅館で2人部屋。超ベテランとの同室に緊張し、ナイター後、張本が部屋で20分ほど素振りをするのを正座して見守った。風呂は後から行き、サッとシャワーを浴びて退散。夕食も同様に早々に切り上げ、部屋で待機した。「部屋子はしようがないですよ」と笑う。

余談だが、松井秀喜が入団した最初の宮崎キャンプ(平成5年)では、選手最年長だった篠塚が同室となった。松井が部屋子の立場だが、朝は篠塚が起こし、窓のカーテンを開けるのを手伝ったという。「連日取材対応で疲れていたからね。でも後にはカーテンも開けるようになった。やっぱり大物なんですよ、松井は……。本当によく練習していた」と懐かしんだ。(聞き手 清水満)

編集部注:この記事はAIを使用して作成されており、産経新聞の記事を元に、内容を変更せずにリライトしたものです。
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