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【検証・文革半世紀 第3部(6)】青春を捧げた農村、2000万人の苦難 低年金で都会生活困難

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Yuki Tanaka
国際 - 06 7月 2026

「党の呼びかけに応じて、青春を祖国の農村建設に捧げたが、今は満足に生活できません…」北京の元知識青年らが首相・李克強に宛てた公開書簡の一部だ。中国のインターネット上に出回っている。

文化大革命(文革)期、人生で最も輝かしい時代を農村で過ごして都市に戻ったのに、各種の社会保障が十分に受け取れないという訴えだ。

17歳で吉林省の農村に赴き約30年間過ごし、北京に戻った60代の男性は、吉林省の低い物価水準で算出した年金しかもらえない。息子たちの支援なしでは最低限の生活も難しい。「指示に従って一生懸命働いてきたのに。政府が責任を取るべきだ」と怒り心頭に達している。

平日の午前中、北京市内の民政局前で請願する老人たちはほとんどがこの類いだ。天津、上海、広州などの大都市でも深刻な社会問題になっている。

習近平政権発足時、彼らは「問題を解決してくれるかもしれない」と一瞬期待を寄せたという。習や李など最高指導部メンバーの多くも青年期に農村で下放労働を経験したからだ。だが、習や李に手紙を送っても返事はないという。

文革中、都市の若者を農村部に送り込むことは「上山下郷運動」と名付けられた。当時の最高指導者、毛沢東が1968年末から推進した政治運動の一つで、15〜20歳前後の若者のほとんどが対象となった。

全国に広がり、制御不能になりつつあった紅衛兵運動を終結させ、都市部で深刻化する失業問題を緩和する目的だったといわれている。

中国当局の統計によれば、68年から78年までの約10年間で、約2000万人の若者が農村や辺境の地に送られた。多くは熱狂的に応じたが、慣れない農作業と過酷な生活環境の中で、やがて大きな失望に襲われる。栄養失調による死者のほか、自ら死を選んだ者も少なくない。

毛の死去から2年後の78年10月、上山下郷運動はようやく終了した。青年たちは次々と都市部に戻ったが、高等教育を受けていないため、就職などで辛酸をなめ続けた。

農村部での経験をバネに大きな実績を残した人もいる。著名映画監督の張芸謀は陝西省の農村で、ノーベル平和賞を受賞した民主化活動家の劉暁波は吉林省の農村で、それぞれ4年間労働した経験を持つ。

北京出身で現外相の王毅も高校卒業後、黒竜江省の農村に下放され、8年間過ごした。文革の後、北京第二外国語大学日本語学科に入学したのは24歳の時だった。

一方で、爪痕の深さも底知れない。王が汗を流した黒竜江省には2008年、元知識青年の専門病院ができた。農村部の生活に適応できず、精神疾患を患った患者約100人が過ごす。取材した中国人記者によると、家族に突き放され、自力で生活できない重症患者が多いが、文革当時の歌が流れるとリズムに合わせて口ずさむ。時々、「毛主席は世界で最も赤い太陽だ」といったシュプレヒコールを叫ぶという。

編集部注:この記事はAIを使用して作成されており、産経新聞の記事を元に、内容を変更せずにリライトしたものです。
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